課題をやっていて行き詰まりを感じたら | サラリーマンFPがこんな世の中でも楽しい人生を歩むために考えていること

前回、何か課題があって、それを習熟するには、少しずつでも毎日やるのがいい

などと書いてみましたが

毎日やることで、ある程度克服されてきて

これ以上余地が少ない、というか

行き詰まる時があると思います。

その場合に「もっと行けるはずだ」とあがくのもありですが

私がやっているのは

「ちょっと放っておいてみる」ことです。

 

英語のことわざで

「見つめる鍋は煮立たない」というようなものを学生の時に習ったことがあって

そのとき「確かに!」と思ったので印象に残っている言葉です。

料理の時に

火をかけた鍋をじーっと見つめていても、なかなか煮立たないくせに

ちょっと目を離したスキに、吹きこぼれた!

みたいな経験を何度もしていて

その際に毎回「ああ A watched pot never boils. だな」

とか言ってみたりしているのですが→学習しないアホ

 

何か習熟しようとしていて

でも、何回やってもちょっとこれ以上行かないなあと思ったら

「見つめる鍋」よろしく、ちょっと放置しておくと

「ああ、そういうことだったのか」と

頭の中や体の中でうまいこと整理されて、いつの間にか解決していることがあります。

無意識のうちに、脳で勝手に処理してくれているのかもしれません。

 

なので、やり始めたときは、イケイケで毎日改善していったほうが絶対いいですが

ある程度やって、行き詰まりを感じる事があると思います。

それは、自分の習熟しなければならないレベルが上がってきたのだと

いいふうに解釈しています。

 

学校のテストで

20点を30点前後に上げるのと

80点を90点前後に上げるのでは

学習の精度や、難易度、苦労の度合いが違ってくるのと同じようなものだと思います。

 

そんな

行き詰まりを感じたら

見つめる頻度を少なくして、

でもやっていることを忘れない程度(1週間)くらいに一回にしてみると

ちょっと進んでいるかもしれません。

ぜんぜん違うことをやっていたら、

何か共通点みたいなものをひらめいたりすることもあるので。

ただ

あまり離れすぎると、私のスキーみたいに

毎回同じ段をウロウロしているようになるので

付かず離れずを見極めるのが大事ですね。

 

と、行き詰まった時に、向き合いたくないときの体(てい)のいい言い訳として

「見つめる鍋」理論を使っています。

 

−向き合いと、放置のバランスで−

 

今回も最後までご覧頂きありがとうございました。

皆様にとってゴキゲンに生きるためのヒントになれば幸いです。

今後とも宜しくお願いいたします。