ヘイトとヤジ | 世の中をなんとなく考察

世の中をなんとなく考察

世の中のキャッチーな言葉に囚われてはならない。
いつも根本にあるのは、人間の本能からくる欲求、それを起こす心の動き。
世界は誰かが良いと思うことの集まりで出来ている。
が、誰にとっても良いわけではない

 

 

浮浪罪 - Wikipedia

 

本来警察はどんな状態でも一般人を逮捕できるように法律を作ってあって、働く能力が在りながらも働かない、定住していない人間を逮捕することも出来る

 

悪いことをしていなくても何もしていなくても捕まることもある

まあこれで逮捕するかというとしないけれど建付けはそうなっている

ホームレスであれば、排除したり、行政に繋いだり

 

 

 

話を戻すとこれはヤジがダメだという話ではなく、状況状況で起こるトラブルや、危険性があるという建前が有ればどうとでもできるというだけであるという事

 

極論を言えば何か社会にとって都合が悪いことが起きそう、本人に危険が及ぶと 現場の警察が 思う状況であれば予防的な措置で保護だって排除だってできる

国家に著しい不利益を被らせる可能性があるものを纏め予防措置で法制化したのが共謀罪

そのカバー範囲が市民の生活とかぶるところが多いから揚げ足取り的に叩いている

 

 

国家転覆を企もうが、同じ人間、テレパシーで話し合ったりテレポートで現場に行ったり、デスノートで人を殺めることなど出来はしない

 

そして内心の自由を侵害することも出来ないとなれば具体的な行動を狙い撃ちするしかない

 

 

言論の自由を守ることはもちろん無いといけないが、同じように治安を維持することを責務として市民が負っているのもまた事実

 

選挙活動は民主主義の根幹であるにも関わらずそれを妨害するためにゲリラ的に自分の叫びたいことだけを

人が不快になるやり方を分かっていながらやることのどこが言論なのかと思うこともあるしそんな人間の言うことと、曲がりなりにも国の為に役に立とうと立ち上がってる人間どちらかが有用なのは言うまでもない  

 

あくまで社会にとってではあるが

 

これもどちらが尊いかどうかの話ではなく

社会にとって必要な肩書を得る活動と

肩書がない人間が自分の言いたいことを伝えるための行動なので

 

まず 

 

社会に守られるべきは立場を得ようとする人

それを保護できなければ声がでかいだけの阿保が世界の中心になる世界が訪れてしまうし

そんな人間が中心になれば今よりもっと言論が制限されているディストピアになる

 

権力を持った声のでかいやつは只の独裁者でしかない

 

これを分かってか分からずかやることで結果的に首を絞めることになるわけだけど

その行動は計算されつくされてるわけで、これ以上やったらまずいというところまではいけないし行かない

その引き際を誤らないのも社会が安定していて形式的なところで社会が回っていることを理解しているからこそできる訳で

間接的には社会や国家に守られてるともいえるんじゃないか

 

そのうえで尚自分の言いたいことだけを叫ぶのは子供じみているし結局社会に守られなくては言葉すらも発せられない人間の遅れてきた反抗期なのか

まあどちらにせよ大人なやり方では無い

 

 

 

と言いたいところだけども

社会に対する市民の最後の抵抗が言論であるというのもまた事実

ひと昔前と比べたら明らかに荒事は明らかに減っているし社会的ににも順法精神の高まりが叫ばれているのもそう

これは良いことであると思うし、少しづつではあるが不幸な人が時代とともに減っているのもまた本当のこと

 

だけどもそれでも人間の行う事、小さなニアミスで結果大きな大きな失敗をすることも無いとは言えない

大きなことをすればするほど小さな歪は結果大きな世間とのズレを生み出す

 

ソレが政治の政策であった場合に不幸になるのは国民自身

そこに異議を唱えられない世の中になるのであれば制度の下に生きている人間の行く場所などどこにもなく

制度の作る側の都合によってのみ許された自由でしかないと言える

 

というか現に今の今までがそうだった

 

 

不幸な人間が出てしまう事は未来永劫無くならないし、どれだけその人間を少なくするか、が政治の役割であり

政治家には国民を幸せにするという事以前に、この先も国家を存続させるための施策を打たなければならないし、その結果として幸せを享受できる人間を多く、不幸な人間をいかに少なく出来るかが政治の役割

 

政治家にとって本来国民の幸せというのは在ればいいなという理想であり、国民を幸せにというのは個人の願望又は目標でしかない

一個人が幸せにできる人は時代が変わろうとも一人が精一杯

持たざる者はより少なく

持つものはより多く

制度で下駄を履かせて初めて社会が成り立っていること

 

 

メディアがその役割を代弁していると言いたい人も居るだろうが政治の都合と自分たちのイデオロギーでしか仕事はしてない

 

政治に寄り添いすぎれば民主主義国家のメディアとは到底言えないしまた国民に寄り添いすぎることも国家にとっては不利益にしかならない

 

出来ることは嫌な奴になり切って政治の不満を政治家にぶつけ国民の機嫌を取るか

道化になり切って政治家に嫌われ相対的に国民の方に寄り添ってますよというポーズをとるか

政治家から国民に向けてのワンクッション、サンドバックになるか

この三つくらい

 

三つ出来れば凄いことではあるけども

やっぱりどちらの方を向ききることは出来ないために最終的に軸になるのは言論機関のイデオロギーになってしまう

 

政治家は国のことを考え

 

国民は自分の幸せ不幸せが

 

言論機関には自分の言いたいことを軸に国民の意見を織り交ぜて結論ありきな論調に落ち着いてしまう

 

メディアの役割は権力監視でも国民の意見の代弁でもなく

 

政治

 

国民

 

メディア

 

この三権の中で監視し合うための一要素であり、その役割から出来ることを決めた消去法的役割を自ら負ってしまっている、中間管理職みたいなもの

 

ただ自分の食い扶持が少しでも少なくならないよう針小棒大に世の中を引っ掻き回すことと世の中に必要か不必要かも分からないまま自分たちの疑問を世論に問うている

結論を個人の価値観や今現在で言えることを発信させるため

国民が言論の主体者であることを忘れないようにするために、、、。
自分たちの役割が無くなってしまわないように、、、

 

 

ま、皆結果我儘

 

続けたきゃ、近くにスピーカーだけ近くに沢山置いて本人は隠れて喋ってりゃ良いのよ

中身のない同じことを叫ぶだけなら

それかたくさん集まってデモして其の最中に大暴れすればいい

 

 

堂々と戦ってるふりだけして中身が無いから自分の利益にしかならず政治家と国民に迷惑をかけて、二極化して、わざわざ二対一で不利な戦いをしてれば排除されるに決まってんだろ、周りも始末に負えないから排除しただけ

これを言論の自由を問う土台に上げるのは違う