世の中をなんとなく考察

世の中をなんとなく考察

世の中のキャッチーな言葉に囚われてはならない。
いつも根本にあるのは、人間の本能からくる欲求、それを起こす心の動き。
世界は誰かが良いと思うことの集まりで出来ている。
が、誰にとっても良いわけではない

 

 

民主主義の建前を履かせるために、何事にも会議や多数決を求める。

が、その弊害として、多数の意見が有るため、それを纏めるのはどの国でも苦心している。

 

自国民の中でも割れる意見が沢山有る中、人種や文化の違う人間同士の意見を纏めるのはほぼ不可能。

国連が機能してないと言われる所以でもある。

 

 

それならどうするか???

形式的に開催して、ご都合に合う人間を集めて結論先にありきで進めること。

ルールを変えてしまう事。

反対する人間をはじき出してしまう事。

この動画では上二つが行われている。

 

結論を出すためにルールを変える

最初は国連参加国の過半数という話だったが、出席している国の過半数になり

賛同しているもの同士(力のある国)で会議を仕切り異論を受け付けないようにして

それ以外の国の疑問なんかは、その場の意見としては聞くけど、結論としては変わらない

それに反対するものは参加しなければいいから、余計に通したいもの同士で集まってしまい、結論が先にある状態で進んでしまう。

 

反対する国が有っても多数決の理論で結局決まってしまう

 

反対ならそれに従わなければいいが、恩恵は受けられないリスクを負って、、。

 

国連では発展途上国の人間が国連事務総長になったりしているが、結局のところ

国力のない国の人間の言うことを聞く国などいない。

 

力のない国の人間を利用して、強権的ではないという理由をつけるためにアリバイ的にそうしているという節すらある。

 

そして世論をリードするために、自国への支援、直接的な利益などを通じて、立場を高めようとする国が有る。

 

コロナの時に中国がテドロスに行ってきたように、、、。

 

 

日本の国会でも法案を通すときに、賛成は起立したり、

投票したりすることが有るが、

時折、起立したとき、ちゃんと数えて多数決した??というときが有る。

国会内でコンセンサスが取れていれば、というところと、政権が過半数取れていれば、まず通るし、本来数える必要もない。

野党は決議された後、プラカードや、顔を真っ赤にして許せないと言えばイイ。

 

郵政民営化の時は割れたが、自民党内で反対する人間の選挙区に人間を立てると脅し、国民に信を問うために衆議院をを解散した。

 

 

要は強ければいかにもやりようが有る。

造反議員の選挙区に金を流し、票を奪い取ることだってできる訳で。

 

そんなわけで民主主義が営まれている、これが通れば一国の都合で対応が遅れることも無いし、ワクチンを必要な数、情報が明るみに一元管理されれば社会は安定するだろうし、混乱も多くは広がらないだろうととも思う。

間違いなく世界はいい方向に向かっていく。

 

 

 

だけども、最後の最後まで残る疑念は、その判断は、本当に正しいのか??

という事。

 

やってみないと結果が分からないという不確定要素が消えることはどんな場合によっても無いもんだ。

 

そして大多数の為に極少数が犠牲になることも、、、。