「忖度」というコトバが使われ出したのはいつ頃からだろうか。何らかの力を持つ人に対して、おもんばかった態度をとることだが、何か恥ずかしいと、みっともないという気分がつきまとう。批判精神を持つこととは真逆の態度だ。現在は、さらに事態が悪化しているのではないか。「同調圧力」が満ち溢れ、異論を唱えることを許さない空気が充満している。嫌だと言えない、一抜けたが許されない社会になっちまっていないだろうか。

 

『非国民文学論』(田中綾著 青弓社 2020年刊) 亡国論ノオトその17 

 

著者の田中綾氏は、北海道新聞日曜版に『書棚から歌を』という短歌を紹介するコラムを連載している。本書において、非国民文学としてハンセン病療養歌人・明石海人、詩人・金子光晴、小説家・丸谷才一らを論じている。なお、丸谷才一が徴兵忌避者を取り上げた小説『笹まくら』は、2026.8.13の「亡国論ノオトその15」に記した。

 

まず僕が、本書で初めて知ったこと、それは金子光晴についてである。

 

「金子光晴と妻の作家・森美千代との一人息子・森乾(けん)が徴兵検査を受けたのは、1944(昭和19)年4月だった。」「結果は第二種合格だった。」(引用P124)

 

「三人は、空襲を逃れて山梨県山中湖畔に疎開した。」「その疎開先に、1945(昭和20)年3月、召集令状が届いた。金子は息子を病者に仕立て兵役忌避させることを決意し、疎開先の医師に診断書をもらい、息子の気管支喘息の発作を誘発させた。」(P126)当時の同調圧力に満ちた社会にあって、周囲からどのように思われようが、一人息子を軍隊に差し出さないという決意は、僕の創造を超えた勇気が必要だと思う。

 

金子の心情を表した詩がある。

 

青の唄  金子光晴

(略)

僕らはもう新聞もいらない。

それは遠くを霞ませる。

青一いろ。 おゝ、国よ。

この三人を放してくれ。

 

国籍から。

法律の保護から。

国土から。

僕ら三人を逐(お)ってくれ。

(略)(P128)

 

著者この詩で、「自分たち(家族三人)にとっての遠ざけるべき対象は、『日本』『国のほこり』『神』であり、また、それらの要請による『殉国』や『報公』といったものである。そこから、『われわれ』の『自個』を守ろうというのだ。」という思いを書いた。(P128)

 

国家などいらない。国家に大切な一人息子は渡さない。周囲から何を言われても家族を守りとおす。金子の強い決意だ。金子にとっては、「国家が息子を軍隊に隔離・収容しようとしているという認識だった。」(P125)

 

御国のために、家族のために、大切な人を守るためにと信じこまされて・・ひとりひとりかけがえのない存在である若者たちが国家に駆り立てられ命を落とした。そんな時代だった。社会の隅々まで「同調圧力」が満ちてしまうと、それに抗することは困難を極めてしまう。そんな社会にしてはいけない。

 

 

本書から、気づかされたことがもうひとつある。

 

「戦争の目的に疑問をもち、あるいは信仰上の理由から戦争への協力を拒んだ人々」については、これまでこのブログで書いてきた。「しかし、その前段階として、兵役を免除された男性たちがいた。」(P61)と著者はいう。ハンセン病療養者のような存在は私にとって抜け落ちていた視点だ。

 

「そもそも徴兵検査は、明治新政府の健民・健兵思想に基づいて、ハンセン病など疾病を発見することを目的として始まったものでもあった。」(P57)徴兵検査は、兵隊として使えるか、否か、その一点で人を評価する制度だ。

 

人はそれぞれ様々な能力や個性を持っていて、そんなことで人の価値は決まらないと、皆がわかっている。ても、人並み、一人前として、国家や世間に認められた者と、一方、落伍者の烙印を押され、自尊心を傷つけられ、劣等感や負い目を持ってしまう者もまたいる。

 

最後に、これも初めて知ったことなのだが、こんな人びともいたというのだ。

 

「『戸籍法ノ適用』を受けない人々は、(徴兵検査の)対象でなかった。実際、箕の作りや竹細工などを生業した『山窩(サンカ)』と呼ばれた人々は、徴兵の義務を負わなかった。1949(昭和24)年には全国に13,000人ほどがいたという。」(P172)

 

 

 

NHKスペシャル『白い旗 水木しげると硫黄島』(NHK、2026年8月16日(日)21:00~21:50) 亡国論ノオトその16 

今年のNHKの8月戦争特集は、「戦争への抵抗」というテーマに正面から向き合っていて例年とは少し違うなと感じている。丸谷才一氏の徴兵忌避、水木しげる氏の降伏は、一旦、戦争へ突入してしまった後では、とても困難を極める行為だ。

 

陸軍大臣東條英機が示達した(1941年1月8日)戦陣訓には「生きて虜囚の辱めを受けず」という戒めが書かれており、兵隊が絶対に守るべきものであった。「敵の捕虜となるくらいなら死を選べ」、その結果が、無謀な突撃、自決、挙句の果て玉砕に至る。どうして「死ぬくらいなら捕虜になって生き残れ」と言えなかったのか。

 

同調圧力に満ちた社会において、兵役を拒否する、捕虜となっても生き残る道を選ぶことは、大勢に身を任せるよりもはるかに困難が待ち受けている。まさに一方通行の道でUターンをするようなものだ。「非国民」「いくじなし」「裏切り者」のレッテルが貼られる。

 

太平洋戦争の激戦地・硫黄島で、軍の命令に逆らって白旗を振り、部下の命を守ろうとした軍人がいた。そこに背後から味方の銃弾が放たれた。犠牲者が大量に発生した情況においては、ここで引き返すのは死者たちへの裏切り行為だと指弾の対象とされたのだ。このことを、水木しげるは『白い旗』として3度も漫画化している。

 

今、心ある多くの人が感じていること。それは軍靴の足音がついそこまで響いて来ていのではないか。高市戦争まっしぐら政権の危うさ、薄気味悪さに多くの人が気付いている。戦争は、始めてしまったら簡単に引き返すことはできない情況に陥る。もしも戦死者が出たらその死を無駄にするなと声が大きくなり、後に続く以外の選択はできなくなる。間に合うかも知れない、今なら。

NHKドラマ『笹まくら』(原作 丸谷才一、脚色 秋之桜子、演出 鶴岡慧子) 亡国論ノオトその15 

この「亡国論ノオト」が行き詰まり、3か月ほどスランプに陥っていた。そんな時、NHKが丸谷才一氏の小説『笹まくら』(1966年)をドラマ化して放映すると聞き、僕の年初来のテーマである「徴兵忌避」が見当外れではなかったと少し自信を取り戻すことができた。

 

友人が徴兵忌避についてなら丸谷才一氏の『笹まくら』を読むといいよと紹介してくれていた。原作は未読だが、今回NHKでドラマとして視聴することができた。(NHK-BS、2026年8月8日(土)21:00~22:29)

 

徴兵忌避者の心情を描くという重いテーマであり、役者たちのセリフのひとつひとつが鋭く刺さってきた。例えば、学生時代の主人公たちの会話のシーンでは「国家があるから戦争が起こるのだ」「戦争をするために国家がある」「では、国家が無かったらどうだろうか」など国家について真正面から論じあっていた。その中の友人のひとりは、決意を固めていちばん先に入営したが。1週間で上官からのいじめを苦に自殺してしまった。主人公は「自分は人を殺せる人間なのだろうか」と煩悶する。そして、ついに出征祝いの日、散髪に行くと言って姿を消し5年間の逃亡生活に入る。

 

もし、自分だったらどうしただろうか。自分に引きつけて考えざるをえない。応召することに対して内心では決して納得できないが、徴兵忌避者を生む家族のことも考えざるをえないだろう。戦場に赴いたとしてもその恐怖、残酷さに自分は耐えられるだろうか。逃げ出した場合はどうやって生き延びることができるのだろうか。どこに行こうか。何を生業にできるだろうか。

 

僕は徴兵忌避を決して「汚名」とは考えない。死にたくない、殺したくない、その中で究極の困難な選択になるだろう。戦後が終ってからも世間が自分をどうみるのだろうか。それらを背負いながらも生きていく決意が自分にはあるのだろうか。

 

今、何となく多くの人が世の中の行方にうすら寒いものを感じているのではないか。

 

「国家の無い社会ならどうなるのだろうか」と考え続けていく契機になったドラマだ。

『戦争はなぜ起こるか』(佐藤忠男著 ポプラ社 2001年刊) 亡国論ノオトその14  

 

有為な若者たちが国家によって根こそぎ戦争に駆り出されて、命を失う。こんな理不尽なことが許されていいのだろうか。今のこの国の動きを見ていると、かつて戦争に向けてまっしぐらに進んだ頃と非常に似ていると思う。なぜ、あの戦争を食い止められなかったのか。それを問うためには、歴史を振り返る必要がある。

本書を読みながらつらつら考えたことを記しておきたい。

 

○教訓Ⅰ ものわかりの良さが戦争につながる。

歴史を振り返ると、なぜその選択をしたのか、他に道が無かった、止むを得なかったという言い訳が繰り返される。今から振り返ると、一見、もっともな選択だったように思える。

歴史の教科書をなぞると、アジアの植民地化→明治維新→富国強兵→資源が無い→資源を求めて対外進出→清、ロシアとの戦争、第一次世界大戦→領土拡大・植民地化→満州国建国→中国との戦争→石油が不足→南部仏印進駐→米国からの石油途絶→真珠湾攻撃⇒そして敗戦

 

ひとつひとつの事象には、原因があり、その道を選んだそれなりの理由があった。それらの因果をつないでいくと必然のストーリーができる。だから、結果的に仕方がなかったのだとしてしまう。歴史を遡りながら考えると妙に後付けで理由が見つかり、自分が納得してしまう。さらに、歴史に詳しいおりこうさんほど、この手の理屈に弱いと思う。ここから僕らは、ものわかりの良さが戦争につながってしまうことを教訓にしなければいけない。

 

○教訓Ⅱ そこというポイントで立ち止まる、引き返すことが必要だ。

歴史を振り返ると、ある時点でいくつかの岐路に立たされたことがわかる。その時点で選択しなかった道が、その後完全に忘れ去られてしまっていないか。情況追認的な判断の連続の中でも、歩みを一度止めて、熟慮していれば違った道があったのではないか。その時、強い主張の方に思わずなびいてしまっていなかったか。一見、弱腰に見える考え方は人気がないから後になって、彼我の力を冷静に比較すれば、なんと無謀な選択をしてしまったことかと悔やんでも元には戻れない。これを、「後悔先に立たず」というのだろう。

 

○教訓Ⅲ では、いまはどうなのか。戦争をしない、できないようにするために必要なこと。

 

・シビリアン・コントロール(文民統制)は重要だ。国会答弁を制服自衛官ができないというルールもそのひとつだ。国民が、政府や軍の勝手な行動を許さない、軍の暴走を防ぐしくみだ。ただ、最近は自衛官の露出が目立つ。自民党大会での君が代斉唱、昭和100年記念式典での歌謡ショー、・・迷彩色を来てTVに出てくるお笑いタレント。最初は違和感を抱いたが、いつしか慣れてきて疑問を持たなくなる。

 

・さらに軍産複合体を作ってはいけない。武器生産を経済の中心にしてはいけない。武器を生産しない。まして武器は輸出しない。今、解禁されようとしている武器輸出は戦争への第一歩だ。いちど、軍産複合体ができてしまうと、政治もマスコミもその影響下に置かれてしまい、いいなりになってしまう。また、若者は多少給与がいいからと軍需産業に就職先を選んではいけない。

 

・いま、話題の遡上にあることが、戦争の方向を向いているか(→)、平和の方向を向いているか(←)、自分で矢印を付けてみる。

これまでも、集団的自衛権行使の一部容認、国家安全保障会議の創設、特定秘密保護法制定、武器輸出三原則の廃止、防衛産業強化法、国有の武器工場創設、敵基地攻撃能力の保持。全部、(→)を向いている。

 

そして今、国家情報局の創設、スパイ防止法、武器輸出解禁、安保3文書見直し、憲法に自衛隊明記・・。全部、(→)を向いている。

 

 

 

『台湾の少年』「1.統治時代生まれ、2.収容所島の十年、3.戒厳令下の編集者、4.民主化の時代へ」全4巻(游 珮芸, 周 見信 著、倉本 知明 翻訳) 岩波書店 2022,2023年刊     

近くの図書館のコミックコーナーで発見。装丁が豪華で全4巻を購入すると1万円を超える。岩波書店からの発行なので予想どおり内容の硬度は高い。

 

主人公は、蔡焜霖(さいこんりん)さん。1930年に台湾で生まれた。当時の台湾は日本の植民地統治下にあった。その後の台湾は歴史の大きなうねりの中で翻弄される。蔡の人生も波瀾万丈だ。蔡はどうやって政治的な弾圧下を生きのびたのか。

 

物語の中で登場人物たちが会話で使う言葉が、時代ごとに変わり、それが字体と色で区別され表現されている。例えば、蔡が生まれた時は、日本統治下(1895年~1945年)にあったので家庭内では台湾語を使うが、学校では日本語を使うことが強制される。皇民化教育だ。ここでいう台湾語は、清朝統治下(1683年~1895年)の間に、中国大陸の福建省から移民として渡ってきた本省人とよばれる人たちの言葉だ。これとは別に、もともと台湾に暮らしていた原住民の言葉もある。

 

日本の敗戦後、大陸での国共内戦に敗れた国民党政権(蒋介石)が逃れてくると、北京語を使うことになった。これらの人びとは外省人とよばれる。蒋介石は、共産主義思想を持つ者、その疑いのある者を徹底的に弾圧する。蔡もその疑いで、10年間も収容所に監禁された。

 

台湾社会は、国際政治の動きからも大きな影響を受けた。冷戦下では、親米、親日政権として国連にも加盟していたが、突然、米中の国交が結ばれ、米国から断交を突き付けられ国連から追放されてしまったのだ。このことも蔡の人生に大きな影響をもたらした。

 

本書を読むと、今の政治化らが叫ぶ「台湾有事は、日本の有事」などという言葉は軽々に口にできないことがわかる。台湾の人びとがくぐってきた歴史、置かれてきた政治環境を知ると、とても皮相的な言説に思われる

 

本書は、今年、読んだ中では、☆☆☆☆だ。お薦め!