「NHK-ONE」と言っているのでしょうが、僕には「犬HK-ワン」と聞こえます!

 

 

『考古学の黎明 最新研究で解き明かす人類史』(小茄子川歩・関雄二編著 光文社新書 2025年刊)③ 亡国論ノオトその12  

 

(以下、*印は僕の考え)*インダス文明の次は、アンデス文明だ。

 

第2章 “万物の黎明”への共鳴と、どこしれずすれ違いを感じる自分―南米アンデス文明を例に(南雄二)(P125~P149)

 

*『万物の黎明』とは、人類学者のデヴィッド・グレーバーと考古学者のデヴィッド・ウェングロウによる従来の人類史を根本から問い直している問題の書である。本書及びNHK-Eテレ『3ヶ月でマスターする古代文明』は、『万物の黎明』に触発された成果である。

 

*本省の冒頭に、この章のまとめがある。

「アンデス文明の黎明期=形成期(BC3.000~BC50)では、公共建築物(神殿)の建設やそこでの儀礼行為を通じて社会が統合された。(だが、その)巨大な神殿は、大人口を抱え強力な権力者が存在する社会によって築かれたのではなく、平等な小規模社会による自主的な協働労働によって完成した。」(P126)

 

*アンデス文明においては、強大な権力が存在しないにもかかわらず巨大神殿を建設するような高度な文明が成立していた。そこからわかることは、僕らの常識的な知識とは異なり、文明社会において権力者が必ず存在していたわけではないということだ。普通の人びとだけの営みで社会を統合することが可能なのだ。

 

*著者らによるアンデス発掘調査から、前の世代の神殿の上に次の世代の神殿が幾重にも地層が重なるように建設されたことがわかった。このような神殿更新の過程で社会の複雑化が生じるという考え方を神殿更新説という。

 

「農耕定住は確立していたが、祭祀建造物を築いた人びとの間で社会的差異は顕在化しておらず、小規模あるいは大規模な祭祀建造物でさえ、集団の自主的な活動によって実現された。」(P133)

 

(その後において)「神殿更新を繰り返すことが、労働力の統制、あるいは農業生産への刺激となり、社会の差異化につながった可能性」(P133)がある。

 

「権力の顕在化なしにモニュメントを築くことができ」(P136)た。

 

*では、その後において権力はどのように生じたのか。

 

「権力の生成を、儀礼用の希少財の入手や流通、儀礼空間へのアクセスの制限、集団が保持する社会的記憶の操作などに求める。」(P139)

 

「集団が自主的にモニュメント建設に携わりながら生活を送る社会と、宗教的リーダーが存在し、儀礼活動を牽引する社会が併存した。」(P143)

 

*アンデスでは、そこに暮らす人びとが社会のあり方を主体的に決めることができた。社会は、長い時間の中で、停滞を含みながら行きつ戻りつしており、狩猟採集社会から農耕社会へと単線的に移行したわけではない。ここでは、ヘーゲル、マルクスの歴史発展段階論的、社会進化論的な見方に対する批判が見られる。

 

「多くの狩猟採集民が、農耕の発生後も、その生業(農耕社会)を直ちに採用するどころか、それを意識して回避し、採用したとしてもせいぜい遊戯的な付き合い方をしてきたからこそ、農耕の拡大や浸透に数千年という時間がかかった。」(P140)

 

 

亡国論ノオトその11 猫人間になろう!     

犬は、飼い主に忠実でシッポを振って本当によくなついてくれる。

でも、猫は気まぐれで、気が向かないとソッポを向いて寝てしまう。

僕は、猫よりもどちらかというと犬の方がかわいいと思っているのだが、それは僕が犬に対して権力者の側に立っているからだ。

 

人びとに対して巨大な権力を持っている国家から見ると、唯々諾々と指示に従ってくれる犬人間の方が好ましく見えるだろう。

背中を向けて寝転んでしまう猫人間は、何とも扱いにくい。

だから今後想定される理不尽な事態、国家によって戦争に根こそぎ持っていかれるようなことになったら、みんなで猫人間になろうではないか。

 

最近知ったエピソードだが、あの文豪夏目漱石は、徴兵を逃れるために、当時本州よりも徴兵制の施行が遅れていた北海道に戸籍を移した(転籍)ともいわれている。

「吾輩は猫である」に送籍という名の人物が登場する。

 

猫人間になろう!

 

 

 

僕は内外の諸情勢にビクつきません!たとえ絶滅危惧種といわれても、この情況に抗する術を見出したいと思っています。

 

『考古学の黎明 最新研究で解き明かす人類史』(小茄子川歩・関雄二編著 光文社新書 2025年刊)② 亡国論ノオトその10 

 

(以下、*印は僕の考え)*学校で「4大文明」を習いました。権力とは、国家とはいかなるものなのか、と考える時に、その解明の鍵はそれぞれの文明の初源にあると思います。それで先ずは、インダス文明から学びたい。

 

第1章 インダス〈文明〉論(小茄子川歩)(P79~P124)

*冒頭に、この章のまとめがある。

「インダス文明(BC2,600~BC1,900頃)には、〈都市〉や〈貨幣〉、文字・・は存在するが、中央集権的な社会構造、王や王墓・・などの痕跡は不在である。すなわち、『国家』をもたない〈文明〉であった。」(P82)

 

1.近代以前の〈非〉市場社会を考えるためのヒント(P84)

*著者は、インダス文明の分析に入る前に、マルクス経済学の概念を使って、市場経済が成立する以前の〈非〉市場経済の特徴を示す。

 

「『人間の経済』は、交換価値(欲望概念/投下された労働力では計れない価値)よりも、使用価値(必要概念/投下された労働力で計れる価値)がはるかに優勢的な、平準化・平等原理としての〈質的等価原理〉から構造化される社会経済システムである。」(P86)

 

*人間が人間らしく生きていける社会は、市場における取引で評価される交換価値(価格)ではなく、そのモノが内包する使用価値を重んずる社会であるべきだという。

 

「人類は、国家や法が存在しないときに他者と交換をおこなう際、まず交換する者との間に『フェティッシュ(物神)』を想像・創造することで〈信用〉を設置した・」(P90)

 

*大変重要なことを述べていると思う。国家や法が出現していない社会では、他者とのやりとりは金銭(貨幣)を通じてではなく、その相手が〈信用〉できるかどうかが重要だ。そして、その〈信用〉には、ある種の物神性が伴わなくてはならないという。

 

「伝統地域社会(共同体)には、慣習的規範(しきたりや伝統)、互酬、再分配などと呼ばれる社会的〈知〉がある。」(P88)

 

*神に祈りを捧げる、タブー、呪術、思いやり、分かち合い・・などは、物神性の表出だと思う。

 

2.インダス〈文明〉の基層(P94)

インダス〈文明〉は、自然氾濫農耕が行われていて、「運河やダム、堤防のような労働集約的な大規模灌漑施設」(P97)が無かった。そのため、多くの〈人口小規模世界〉(5ha以下)が集合した社会だった。

 

「広大な地理的範囲に安定した生活を営める状況が散在していたので、人びとは集住ではなく、各地で盤石な地域社会を維持することを主体的に選択したものと推察される。」(P100)

 

*インダス地方は、河川があり土地が肥沃で人びとが生活を営むための自然条件に恵まれていたために、大きな集団を作って共同で暮らす必要がなく、人びとは小さな集団を単位として生活していた。そのため、権力を用いて大掛かりに人を動員して大規模な構築物をつくる必要がなく、そのために王のような権力を集めた者が出現することはなかった。

 

3。〈都市〉はあるが、「国家」はない高度な政治システム  

*以上のことを踏まえると、僕らが学校で習ったイメージとは随分と異なった社会が築かれていた。

 

「インダス文明には、都市や〈おもりー印章―文字〉(秤量、判子)などの痕跡は存在するが、中央集権的な社会構造、王や王権、神殿、労働集約的な灌漑事業(土地の私有化傾向)、ムギ類の偏重大量生産、極端な集住、富の集中、豪奢な副葬品をもつ墓、武器・軍隊・戦争、社会全体にいきわたるような強力な宗教などの痕跡は不在である。」(P113)

 

従って、「この文明には、高度な政治システムと関連づけている恣意的な権力や支配、暴力の形態、すなわち固定化した権威のシステムとしての『国家』を想定する必要はまったくない。〈王のいない都市〉であった。」(P114)

 

ただし、「数字(マス)と暴力でもって、貨幣の質的な相違を徹底的に消し去ることで、量的に把握することを可能にし、権力と結託するかたちにしてしまう可能性を常に秘めていた。」(P109)

 

*権力は、人びとが個性を持ったひとりの人間として重んじることを避ける。反対に、人びとを量として、集団として把握しようとする。

 

*では、権威のシステムを整備せずに、どのようにして〈文明〉社会を築いたのか。その答えは、周辺都市との間に、バッファとしての『王のいない〈都市〉』を存在させたことによって可能だったのだ。

 

「バッファ:共生する異なる価値観をもつ異社会・異文化の(あいだ)に創造・創造される、差異の存続を容認しつつ、両者の接触を制御し、侵食や衝突を回避することでみずからの文化を持続する、固有の構造をもつ共生・自律的な同調のシステム。」(P117)

 

おわりに、「BC2,600年ごろにインダス川流域に住んでいた人びとには、オルタナティブな社会秩序を想像・創造する能力があり、恣意的な権力や支配の形態がけっして出現しないような方法で、固定化した包括的権威のシステムを避ける社会を、政治的に組織化していた。」(P123)

 

*権威が確立し、国家が出現することが歴史の進歩ではないのである。教科書で習った、歴史が必然性を持って進むという考え方を放棄する必要がある。そこには、あえて権威的な社会を望まなかった人びとがいたのである。

 

 

傍若無人のトランプがイランとの戦争を始めた。折も折、立憲民主党は公明党の票欲しさにあれだけ反対していた有事立法をあっさりと認めてしまった。全くもってバッドタイミング!ホルムズ海峡のタンカーを守るためということで自衛隊の出動は必至だろう。政府は、イスラエル、米国にモノを言え!自衛官の命を守る術を考えたい。

 

『考古学の黎明 最新研究で解き明かす人類史』(小茄子川歩・関雄二編著 光文社新書 2025年刊) 亡国論ノオトその9  

 

(*は僕の考え)*有為な若者たちを根こそぎ戦地に駆り出してしまう国家とはどういうものなのか。本書を読むことで、人類史の初源にさかのぼり、いったい国家の成り立ちとはどのような情況の中での出来事だったのだろうか。そこから、国家なき社会はどのような姿なのか幻視できないだろうか、と考える。

 

*本書は、僕らが学校で習った歴史を疑うところから始まる。教科書に書いてあった歴史は本当の歴史だったのだろうか。克服すべきは、以下に示すような単線的な進歩史観に基づく歴史記述だ。

 

「初期の農耕は、自然の雨にたよるだけで、肥料をほどこさない略奪農法であったから、人びとはひんぱんに移動する必要があり、集落も小規模であった。しかし、大河を利用する灌漑農法が進むにつれて、生産は増加し人口も増大した。また、大河の治水・灌漑には多数の人びとの協力が必要なため、集落の規模は大きくなり、やがて都市が形成されていった。こうした過程とともに、社会はしだいに複雑になった。もともと集落は、同じ血縁であるという意識で結ばれた氏族を単位としていたが、生産がふえ、分業が進むと、その内部に貧富や強弱の差が生まれた。(『新もういちど読む山川世界史』(『世界の歴史』編集委員会2017 山川出版社より)(P37)

 

*図式化すると、初期の農耕は略奪農法:(移動、小規模集落、氏族単位)→大河を利用する灌漑農法:(定住、生産増、人口増、大規模集落、都市の形成、分業、貧富の差)となる。

 

*さらに、以下のような通説も疑う必要がある。

 

「人類社会は、不自由で文明のない無垢で自然で野蛮な状態からはじまった。そして段階的な技術的進歩を経て、社会的不平等を引き受けつつも、最終的には権力や支配、暴力からなる固定化した権威のシステムとしての、自由かつ平等な国家、そして社会的複雑性のシステムとしての自由かつ平等な文明に至る。」(P58)

 

*これも図式化すると、野蛮な状態(不自由、無垢、自然)→技術的進歩→権威のシステム(権力、支配、暴力、自由、平等な国家)、社会的複雑性システム(自由、平等な文明)に至る。

 

*ホッブズのいう自然状態「万人の万人に対する闘争」も疑う必要がある。

 

「初期のヨーロッパの人たちは、ホッブズ『リヴァイサン』(1651年)にみられる『無法の平等国家社会→秩序ある階層的国家社会』という理念によって擁護された、権力や支配、暴力からなる固定化した権威のシステム(絶対王政)の中を生きてきた。そして社会的不平等を内包しつつも、技術的進歩によってそれを乗り越えようとする人類の地平としての国家という『社会編成の形態(フォルム)』を、他の社会に比べてはるかに自由かつ平等で発展したものであると自負していた。」(P51)

 

*ヨーロッパ人による国家というものに対する肯定的評価であり、それを通説としてきたのが僕らのこれまでの歴史観である。これを著者は真っ向からひっくり返して、以下のように言う。

 

「そもそも『国家』は、人類の最終目的地でも、必然の帰結でもない。だが、わたしたちは、人類がある時点で、権力や支配、暴力からなる固定化した権威のシステムを創り出してしまい、いつしか『国家』に席巻されているかのように考えてしまっている。」(P70)

 

*そして僕らに覚醒することを促す。

 

「国家体制や官僚制のような中央集権的あるいは集権的制度を根本的に拒否するなど、文明制度の取捨選択をおこない、それらを独自に発展させることができる。」(P72)

 

「権力や支配、暴力からなる固定化した権威のシステムをしりぞける、互酬原理を濃厚に残す社会が保持・維持される。そして、高度な文明を実現しながらも、経済的には、『国家』による交換や再分配の管理の範囲がせまく、市場にゆだねられることで、商品交換の優位性を確保できる。」(P72)

 

*国家に抗する社会、国家を脱する社会のイメージが少しだけ持てると感じた。

 

 

 

 

ミラノコルティナ五輪がようやく終わった。ニッポン・ニッポン!日本人選手が・・自国ファーストの絶叫中継はうんざり。とは言ってもほとんど観ていないの。だが、クロスカントリースキー男女50kmだけは例外だ。急なアップダウンのコースを、全力を振り絞って前に進む姿に心が打たれた。実況解説者も、国籍など関係なくひとりの競技者としてリスペクトしていたのが良かった。僕も元素人マラソンランナーとして、その過酷さが少しはわかるので感情移入してしまった。

『税の日本史』(諸富徹著 祥伝社新書 2025年刊)亡国論ノオトその8  

 

(*印は僕の考え)*ここまで「徴兵忌避」があったという事実やその際の理由などを振り返ってきた。宗教的な背景を持つ者、単純に戦うことが嫌だからという例が多く、思想的な理由は少なかった。特に僕は国家を否定するような考えによるケースがないだろうかと探してきたが、あまり見つからなかった。そこで、ここからは視点を変えてみたい。

 

*有為な若者たちを根こそぎ戦地に駆り出した国家の本質とは何なのか。その権力の根源とはどういうものなのか。それらを見極めたい。

 

*本書は、亡国の書ではない。税の視点から日本史を通覧できる、また税の歴史を振り返ることによって現在の税をめぐる言説を考える上でも大変興味深く読むことができる書物である。その通史においても僕の問題意識は、税の起源がわかることによって、権力や国家の発生過程が明らかになるのではないかという点にある。

 

*僕の結論を先回りして言うと、歴史の初源に存在するだろう国家なき時代 権力なき時代の様子がわければ、人びとに権力を以て強制してくる国家そのものを否定された(亡国)社会を幻想できるのではないかと考えている。

 

 

さて、本書に入るが、巻末に付録として、日本史家磯田道史氏と著者である諸富徹氏の特別対談『日本人と税』が載っている。(P245)

 

(諸富)「日本における租税の最古の記録は『魏志倭人伝』(弥生時代=3世紀の倭国)だが、実際にはいつから始まったと思うか?」

(磯田)「それは、『公』の発生と税による所得再分配や福祉がいつ始まったか。集団の生存のために所得を再分配する考え・思想がいつから現れたかという問いだ。」

「たとえば、縄文時代  (前14000年頃~前8世紀頃)の遺構に、骨折した人や犬が埋葬されていたことが確認されている。飢えと隣り合わせの社会で、生産性の低い人や家畜が保護されていたわけで、これは、所得の再分配行為だと思う。思いやり、共感性、仲間意識、そこにこの国の税の始源を見たい。」(P247)

 

*この磯田氏の発言は大変重要だと思う。早くも縄文時代において、権力による民衆からの収奪としての税ではなく、民衆のあいだにおける税による所得の再分配機能が発生しているという。前者からは税の相互扶助、互酬的な側面、後者からは税の権力による収奪的な側面、このふたつの機能は現在も税のもつ両面性として保持されている。

 

(諸富)「しかし、所得再分配の考えではなく、為政者が民衆から(税を)一方的に取ることもある。」

(磯田)「反対給付のないレント(地代)の発生もある。古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の遺跡で、整然と建ち並んだ倉庫が見つかっている。ということは、徴税システムと官僚制があったことが想像できる。貨幣経済はまだだから米など農産物の物納だろう。」(P247)

 

(磯田)「古墳時代の古墳築造に対する労働力の提供も税のひとつだ。」

(諸富)「労働税(賦役)だ。」

(磯田)「日本の古墳は、中国よりも韓国よりも墳丘が大きい。これは、インフラにように公共に資するものではなく、王族や豪族だけのもの。民衆を一定の時間、古墳築造に意のままに働かせられる権力の成立を意味する。」(P248)

 

*古墳時代になると後者の面、収奪としての税、ここでは労働力の提供だが、ここに権力の発生を見ることができる。

 

(磯田)「卑弥呼の時代(170年~248年頃)になるまで、すでに弥生末期(3世紀中頃)には、外国の税制に近いものを原初的な日本の国家が学んでいた。全長200mを超えるような古墳は、組織的な徴税システムと官僚制がないと無理だ。」(P248)

 

*社会が高度になり、徴税システムと官僚制が整備されると、国家という形態の発生まではあと一歩だ。

 

*本文に戻ると、以下のように現在に繋がる租税の原初形態について述べられる。そこではすでに何らかの権力の発生や国家の萌芽が見られる。

 

○日本における租税の起源(P16)

・「(先にも触れたが)租税の最古の記録(文献)は、『魏志倭人伝』の弥生時代にあたる3世紀の倭国に関する記述のなかに、『租賦を収む、邸閣在り』とある。」(解説:租とは、米や絹などの物品、賦とは、労役のことで、邸閣(倉)を建て、そこに納めていたという)(P16)

 

・「5世紀にヤマト王権が成立し、貢納制が整備された。」

①タチカラ・・「田の力」、田地からとれる稲など、穀物の形で納めるもので、収穫物の一部を共同体の神に奉る農耕儀礼から発生した。それが、収穫物を共同体の首長に収める貢献に転化した。

②ミツキ・・穀物以外の産物、繊維製品などの物品を神や共同体の首長に奉った。

ニエ(贄)・・山野河海でとれる産物、名産を征服者に献上し、支配に服する。

そこから、ヤマト王権が各地を服属させていく過程で、被支配地の人々が大王(おおきみ、のちの天皇)への服属を示す貢納物として納めた。(P17)

③エダチ・・労力の提供の形で納める貢献

ヤマト王権が、豪族の支配下にある人々を、地方長官である国造(くにのみやつこ)を通じて挑発し、中央で労務に服させる。労務の内容は、造営(宮殿など)、造寺(寺院)、造陵(古墳)、必要な時に臨時的に挑発する。(P17)