今日は珍しく家族の話をします。



2018年冬、人工授精を始めました。

まだまだ明るい気持ちで進んでいた頃でした。

若い頃は命懸けで避妊をしていたので、不妊という実態がピンと来ず、一人目を簡単に自然妊娠した私はやっぱり避妊は大事だったんだ、私はすぐデキちゃう危険な体だと思った程でした。


3年半後の自分が不妊でこんなにも苦しんでいるだなんて思いもしなくて。



当初から娘はきょうだいが欲しいと言っており、いつも待っていてくれました。


人工授精は11回全て、かすりもせず

体外受精に移った時に陽性反応でた頃、娘が「赤ちゃんくる気がする」みたいな事を言ったことがありました。


化学流産となった頃、なんとも言えない表情で私のお腹にグッと抱きついてきました。

「なんで居なくなっちゃったの?」みたいな事を言っていたと思います。


前後関係が思い出せないので私が「赤ちゃんならもう来ないよん。」みたいに言ったんだったかな?でもお腹をジッと見つめてた時は私は何も言ってなくて初めて見る娘のその表情は胸に刺さりました。



それから3年半の間いつも娘は待っていてくれました。

いつ来るかなー、とか来てくれたらあれしてあげたい、これしてあげたい。って。


繰り返す陰性判定の時に旦那が娘に

「もうそのことは話すな」みたいに言いました。「お母さんも歳だから来ないかも知れないんだから辛くさせるから言わないで」と伝えたそう。


娘から「お母さん、影でお父さんに辛いって内緒話してたの?私からきょうだいができたらって言われるのが辛いってお父さんに言ったの?」とべそかきながら言われました。


このことが本当につらくて辛くて、今でも泣いてしまいそうです。


旦那は「もう娘から妹とか、弟とかの話を聞きたく無い。」

そう言いました。


娘がいつか来てくれるはずのきょうだいに仮名をつけていて


「仮に下の子がきてくれても、その名前をつけるのもいやな位もう聞きたくない」


と言っていました。


私の心はこの辺で折れたと思います。


一人だけで頑張ろう、ひとりだけで抱えて何事も無心で受け止めて普通で居よう。

だからもう何も言わないで。


そう思って今日まで来ていました。



こんなに時だけが経ち、私たちはまた年をとり娘はすでに三年生になってしまいました。


たくさん期待させておいて、結局きょうだいは来てくれなくてお父さんからは言うなと言われて。

娘はとうとうそれを言わなくなりました。


ほんの、たまーに。


様子を伺う様に言うけど前みたいに楽しそうには言わなくなりました。



私もどう返せば良いのか、もう分からなくなり


まるで嘘つきみたいな気持ちで言葉を返していて不自然な気持ちになってきていました。



ここ最近、模様替えついでに色んな物を捨てることになりました。


家に幼児はもういないので、お下がりに。なんて思って温めていた物もかなり捨てました。


前なら「これはとっておこうか」なんて言っていた物も「もう誰も使わないもんな」となり、役目を終えたものばかりになっていました。



取り外したままのベビーガードがいつも閉まってあってそれが出てきたけど、それについては誰も何も言いませんでした。


これにしがみついて泣いていた娘を

泣き声とその泣いている顔すら疲れて、ベビーガードを越えられない姿をホッとした気持ちで見ていた育児に疲れ果てていた自分を

思い出しました。


それでも、ベビーガードを捨てられると思いました。


私の中からも何かが消えていっています。



このベビーガードにしがみついて泣いてくれる子はもう居ないんだな。と思いました。


赤ちゃんが使えそうな物。

がどんどん消えていくこの家で、あぁこうやって気持ちにケリをつけていくものなのかな?と感じました。


形から入る、というか。


旦那は不妊治療について、良くも悪くも一度も何も言わずに3年半付き合ってくれていました。

精子とお金さえ出してくれれば後は私が1人で頑張るから放っておいてと思っていました。

(不倫の慰謝料はとっくに使い果たした為)


自己注射の辛さ分かって欲しいとか採卵の恐怖分かってとか、思ったこと一度も無かったのでそれが楽でした。


分からないんだから何一つ口出ししてくれない事が1番の優しさと思っていました。


初期流産した時すら、何も言われなかった。


その時も何も言ってほしく無かった。


本当に何ひとつ残らなかった。

不妊治療って、何だったんだろう。



新しい家族がやってくる!って期待が全員から消えた我が家はどこか寂しそうに見えるけど

そう思ってるのは私だけで案外ふたりとも

ケロッとしているのかも知れません。