日が暮れる頃、車は梅河口に着いた。高速を降り、鄭経理は、ある学校の庭に車を停めた。そして、近くの民家で尋ね、その家を探し当てた。中に入ると、人でごった返し、男達が酒盛りをしていた。古参教員、段氏の自宅で、氏の還暦祝いの最中だった。段氏が3人を皆に紹介し、ビールと白酒で乾杯した。全てが朝鮮語で意味は不明だが、公太郎も〝イルボネチング(日本人の友達)〟として、その晩の客人になった。
酒が回れば歌が出る、歌が出れば踊りが出るのが朝鮮文化だ。「ノレハセヨ(歌ってください)」の勧めで、皆の「アリラン」に続いて、彼が「トラジ」を歌うと、立って合唱になり、踊りとなった。そして、料理を運んでいた段氏の夫人も興に入り、〝イルボネチング〟歓迎の「北国の春」を、日本語で歌った。また、赤ら顔の段氏の義弟は、公太郎に酒を注ぎ、「我的女児在日本留学(娘が日本に留学してるよ)」と嬉しそうに乾杯し、ポロポロと涙を流した。
ほろ酔いの中で公太郎は思った。1945 年の敗戦以来、この家の玄関を跨いだ日本人は、彼が初めてではないかと。宴は深夜まで続き、電話が無く、屋内にトイレの無いオンドルの民家で、皆が枕を並べて寝た。
(『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第8章‐6)