目が覚めると、列車はハルピン駅に着いていた。他の乗客に続いてホームに降りると、周囲は暗く、人々の吐く息だけが白い。改札を出ると、郭さんの奥さんと父親が迎えに来ていた。郭さんは駅前のホテルに公太郎を案内し、家族と家路に着いた。(中略)

 

               

  

  ハルピンと言えば、思い浮かぶのは二葉亭四迷だ。言文一致の小説『浮雲』を書いて、日本近代小説の先駆けとなった。ロシア語が堪能だった彼は、ロシア文学の翻訳、陸軍や海軍のロシア語教師、東京外大教授、朝日新聞社員など、幅広い活躍をし、ハルピンに滞在した時期もある。当時、ハルピンで写真館を営んでいた石光真清の手記に、次のようにある。

   「この頃、飄然と現れた奇人の中に、ロシア文学者二葉亭四迷(長谷川辰之助)氏がある。何の目的で哈爾浜に来たのかと訊ねても、いつも笑って答えなかった。(中略)気が向けば私の写真館に遊びに来たまま1週間も泊まり込み、写真館のお客を相手に自由なロシア語を操っていた」(※) 

 

                                      (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第8章‐5)

 

  ※石光真清『曠野の花・石光真清の手記2』中央公論新社 1978年1月10日(344頁)

 

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