日本企業が海外に進出した1970年代、メディアで「国際化」が叫ばれた。だが、来日外国人が激増したのは90年代で、中国人や韓国人が多かった。彼らは、就学生(留学生)や研修生(技能実習生)として来日した。

 WGIP政策下の、戦後生まれの日本人の多くは、彼らに良心的に接し、裏切られる場合も多々あった。当時は、中国から送金ができず、中国人就学生(留学生)は、日本人の「保証人」が必要だった。

 

 その時代について、拙著で以下のように書いた。

 

   公太郎も、入管の「保証人制度」が建前の制度であることは、これまでの経験から知っていた。(中略)制度がそのようなものだから、仕方なく書類を出しているに過ぎない。そして、保証人の方々を見る限り、ほとんどが善意で、見返りを求めていない。「先の戦争で中国の人々に迷惑をかけましたから」と、〝罪滅ぼし〟のつもりで保証人になっている。

    (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第6章‐3)

 

 会場は和室の大広間で、今市氏の音頭で乾杯し、和気藹々の宴席が始まった。

公太郎が隣の人と話していると、一人の婦人が寄って来て挨拶した。

「こんにちは。うちのダンナ、黄恵さんの保証人なんさ」

「えっ、じゃあ、鳥羽さんですか」

「はい。小熊さんに頼まれて、なったんですが、何もできなくて…」

「いえ、いえ、有難うございます」

彼が恐縮していると、今度は、初老の男性が近づいて来て言った。

「須田です。梁山さんに頼まれて…」

「じゃあ、周永来さんの保証人さんですか」

「そうさね。昔、親父が満洲に行ってたもんで…」

    (同上 第5章‐14)

 

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