映画の中で、女性闘士が川口君に詰め寄る場面がある。「中核派は、海老原君を殺しただろう!」と。この2年前に、革マル派の東京教育大(現筑波大)生が中核派にリンチ殺害されていた。川口君事件について、革マル派は彼を中核派と見なし、報復としてリンチしたのだろうと、当時の学生の一人がコメントしていた。報復、つまり、<怨念>である。

 革マル派も中核派も、1963年までは「革命的共産主義者同盟」として、同じ組織だった。しかし、方針の違いで分裂し、主導権争いで内ゲバ闘争になった。

 

  <怨念>は、〝殺意″である。拙著では、<怨念>について以下のように書いた。

 

  「去年は、大変だったでしょう」と、公太郎が酒を注ぐと、彼は猪口を一気に飲み干し、大粒の涙を流した。公太郎はふと思った。菱村の仕打ちが〝怨念〟から出たものなら、誰に向けられていたのか、と。清朝の西太后は〝怨念〟によって光緒帝を毒殺し、朝鮮の閔妃も同様に金玉均を凌遅刑に処した。だが、その〝怨念〟の連鎖が対立を生み、清朝と李氏朝鮮は滅亡した。

         (『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第11章‐10)

 

                                 

 

   リンク:Amazon.co.jp: 国よ何処へ 平成の日本語学校物語 : 翆川 翔: 本