1989(平成元)年、バブル期の日本に、〝ボートピープル″を装った「経済難民」が押し寄せた。その様子を、拙著・第4章で、以下のように書いた。
春から秋にかけ、九州や沖縄の各地に、ベトナム難民船らしき小型船が漂着し、話題になった。船の数は20数隻にのぼり、人数は約2,800人にもなった。だが、調査を進める中、大半が中国人の「偽装難民」であることが判明した。
また、その年の入管法違反者数は、既に1万人を超えていた。違反理由の約8割は、観光ビザで入国して就労する「資格外活動違反」と、ビザ期限を超えて滞在する「不法残留」で、パキスタン、韓国、フィリピン、バングラデッシュ、ミャンマー国籍者が多かった。
「資格外活動」というのは、ビザの資格以外の労働をすることで、無許可でやれば、「違反」になる。違反者の多くは、建設作業員やホステスなどだった。また、企業研修で入国して「不法就労」する者も急増し、入国審査の厳格化が求められていた。
こうした出入国問題の背景には、好景気に沸く産業界の絶対的な人手不足があり、「偽装難民」の収容所にすら、企業の求人が殺到した。だが、政府の方針は、単純労働者の就労を認めないというもので、現実との乖離が大きかった。
(『国よ何処へ‐平成の日本語学校物語‐』第4章‐4)
参考リンク:
難民船ラッシュ=1989(平成元)年9月■トカラ沖や奄美沖で発見 | かごしまひと昔ふた昔 | 南日本 新聞 | 373news.com