士郎正宗の原作漫画を独自の世界観で表現した、映画監督の押井守。押井守版「攻殻機動隊」が1995年に公開され、その9年後、2004年に原作にはない展開、つまり押井守オリジナルでの攻殻が公開されました。それが、今回語る「イノセンス」です。



あらすじ

  1. イノセンスでは、公安9課のバトーが、少女型ガイノイドによる連続殺人事件を捜査する。
  2. 相棒のトグサと共に事件を追ううち、人形メーカーや巨大企業の陰謀が浮かび上がる。
  3. 捜査の過程で、人間と人形、肉体と魂の境界についての問いが繰り返される。
  4. ネットの海へ去った草薙素子も、ときおりバトーを導く存在として現れる。
  5. そして事件の真相に迫る中で、「人間とは何か」というテーマが静かに浮かび上がる。



正直なところ、この映画をあらすじで追おうとしていくと詰みます。
なぜなら、この映画、起承転結や観させる推進力なるものがあまりに薄いからです。どちらかといえば、押井守の思考の断片を見せられている、というような感じなので、「つまらない」「退屈」と感じてしまうのも無理はありません。
ではなぜ、この作品が今なお、色褪せずあり続けるのか。
それは三つのポイントがあります。

1.押井守の世界
2.素子とバトーの魂の恋愛
3.イノセンス、いのち、とは?

主にこの三つに着目していきたいと思います。

1.押井守の世界
退屈だな、と思ってしまうのは、まずこの監督押井守の世界観が全面的に押し出されているからでしょう。ストーリーの展開より世界を見せていくスタイルの押井守は、前作「攻殻機動隊」でも背景を背景とせず、むしろ背景が主体なのではないかとさえ思うほど長く、圧倒的な映像を見せます。
特徴として、SF特有の近未来ですが、完全近未来の世界ではなく、超高層ビルや、電脳ネットワーク、サイボーグ技術などが発達してはいるものの、一方で、神社や仏像、路地、人形が残っているという怪しい空間が出来上がっています。過去と未来が溶け合っているのです。
そしてその世界を支えているのが、川井憲次さんの音楽であることは明確です。
ここが重要で、イノセンスの世界は、かなり中国や台湾のイメージが強いです。それは情景の節々に伝わっているとは思うのですが、アジアの歴史や信仰が残ったままの未来都市と表現するのが良いのかもしれません。



2.素子とバトーの魂の恋愛
草薙素子とバトーの関係はこの作品を語る上で非常に重要です。 
士郎正宗漫画原作だと異なりますが、本作でのバトーと素子の関係はかなり切なく、複雑です。言うなれば、魂の伴侶とでも言いましょうか。恋人であるというわけでは決してなく押井監督も、あまり積極的に恋愛を描く人ではないので、恋人かどうかを想像に任せますが、この素子が、前作「攻殻機動隊」ではバトーと公安九課の元を去ります。それは、人形使いと魂を同期した、つまり、ネットの海へダイブし、自らが情報となったからです。去った素子を思い続けるバトー、という構図が本作を理解する上では大切です。



3.イノセンス、いのち、とは?
イノセンスは、訳して「無垢」「純粋」という意味があります。
これにはさまざまな解釈がありますが、私はバトーに着目して解釈しました。
バトーは、銃を撃ち、戦闘します。荒廃した土地は純粋であるとは言えません。
しかし作中でのバトーは、素子を思い、犬を愛し、仲間を信じています。
その姿に、純粋さを感じます。
有名なキャッチコピーに、糸井重里の、
「イノセンス、それは、いのち」というのがあります。では糸井重里はなぜイノセンスを「いのち」と訳したのか。
イノセンスには、サイボーグやガイノイドAIが度々出てきますが、人間ではありません。しかし、それらはともに悲鳴を上げ、苦しみます。そこに人間と機械という境界はあるのか。ではいのちとは何なのか。
私たちの前提である、
人間は命がある。機械は命がない。
という単純な対立は崩壊します。
どんなものにも、いのちというゴーストが宿る。それは、犬にも、都市にも、人形にも、機械にも。
神道的なアニミズムの概念に近いと言えます。

どんなものにも生命が宿る。
生命は愛し愛されるという関係性の中で生まれてくるものなのかもしれません。