ゆづサンタ.:*:・'°☆ | 祥子のブログ

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羽生結弦選手&フィギュアスケートについて独り言のように語っていましたが

ひとまず終了します

ありがとうございました

これ❤️

ちょー可愛い。:+((*´艸`))+:。


「可愛い!」「お誕生日おめでとう!」羽生結弦がサンタ姿に! 

イタリアのトリノからファンに送られたメッセージは…

オリンピック公式競技を扱う『Olympic Channel』の公式インスタグラムに登場。
なんと、サンタクロースが被るような赤い三角帽子を被る姿を披露している。
サンタ帽をかぶった羽生は、
「I'm always happy to skate with your BIGGEST ENERGY!!
(私はあなたたちの大きなエナジーと共に滑っているときは、いつも幸せです)」
と、直筆で書いたらしい白い紙を手に、ピースサイン。口元にはリラックスした様子で笑顔を浮かべている。
突然のプレゼント予告に、国内外の羽生ファンは喜びを隠せない様子。
「この写真だけでもビッグプレゼント! 誕生日おめでとうユヅル!」
「今年のクリスマスは最高」
「このサンタクロースしか欲しくない」
「愛してるよユヅ!」
など、ハートの絵文字が乱舞したメッセ―ジが数多く寄せられた。

わーん。・゜・(ノД`)・゜・。ちょっと早いクリスマスプレゼントが嬉しい.:*:・'°☆

あんなに苛酷な戦いだったのに・・・
いっつも周りのことを考えて、思ってくれる結弦くん。

だからこそ勝ってほしかった(´;ω;`)

結弦くんの言葉、今回は特に心に刻みたいです。
まずスポニチさん。
お写真はどちらも長久保豊さん📷

羽生 打倒チェンへ闘志 「王様のジャンプ」4回転半に挑む「ここからはい上がっていかないと」

形勢逆転への切り札だ。
「自分にとって4回転アクセルは、王様のジャンプだと思う」。
基礎点12・50は現在、国際スケート連盟で設定されている中では最高点のジャンプ。前人未到の大技を携え、リベンジに備える。
ただでさえ、フリーは難関プログラムの「Origin」。
4回転半というカードを増やし、究極の舞を目指す。

大技と表現力の両立も必要となる。フリーを終えた夜、羽生は宿舎で自戒した。
「つなぎや音楽、表現を感じてスケートしないと。スケートやっていて、ふに落ちない」。
ジャンプ大会ではない。だが、高難度のジャンプが試合の行方に大きく関わってくるのは事実。
だからこそ、大技が必要だと再確認した。
「それをやった上で、フィギュアスケーターとして完成させられるものにしたい」。
五輪連覇の男のプライドだった。

今回、試合会場で初めて4回転半に挑戦した。
3度全て転倒するなど、完成度は高くない。それでも、新たなチャレンジを決断したのは、尊敬するプルシェンコが優勝し、夢を持つきっかけを与えられた06年トリノ五輪の会場だったから。
「ここで何か爪痕を残したい」。
弱気だった自分を奮い立たせ、跳んだことが今後の糧になる。
「ここの舞台がきっかけで五輪で優勝できた。全てがつながっている。跳べはしなかったが、ここがまた、自分にとってのきっかけの地になった」
と前を向いた。

7日に誕生日を迎え、25歳の初戦を終えた。こみ上げてくる思いは、勝利への渇望だ。「やっぱり勝ちたい。ここからはい上がっていかないと」。
王座奪還への歩みが始まった。

【羽生結弦と一問一答 1】コーチ不在の“意味”考え4A練習「やっぱここで何か爪あとを残したいと」

――一夜明けて、満足感や悔しさは
「まあ、いろんな気持ちはやっぱりあります。正直言って、この構成にできればなりたくなかったんですけど、まあ一応練習しといては良かったなという風に思いますし、
まあこの構成を練習した回数といったら、たぶん通しは1回くらいしかできていないですし、もちろんノーミスはできて…まあアクセル、アクセルにするつもりはなかったですし、トー、フリップでやるつもりもまったくなかったですけど、
一応ノーミスはしていたんで頑張れるとは思ったんですけどね。
ただ、うん、やっぱり試合は大変だったなという風にも思いましたし。
あと、4回転ループと4回転ルッツが跳べるようになったっていうのは、すごく大きな一歩だったと思うと同時に、
やっぱりもっとつなぎの部分であったり、音楽であったり、表現であったり、
そういったものをやっぱり、なんて言えばいいんですかね、感じてスケートしないと、なんか自分スケートをやっていて、ふに落ちないな、という風にちょっと昨日、考えながら夜を過ごしました」

――アクセルの完成度を見せてもらった

「すいません、全然完成してないんですけど~、恥ずかしい」

――世界選手権あたりにはというプランはあるか
はい、頑張ります。そのつもりで。本当は正直な気持ちを言ってしまうと、ショートが終わった後に割と絶望していて、やっぱりまあ、サルコーと4回転トーループのコンビネーションの構成でオトナルがあまりにもはまらなさすぎて、なんではまらないんだろうってひたすら考えてはいたんですけど、
まあでも13点差っていうのはジャンプ1本増やしたからとか、4回転にしたからっていって、縮まるものではないということは、すごく分かっていましたし、
彼自身も5回跳んでくるだろうということはすごく分かっていましたし、まあこんなプレッシャーでは絶対つぶれない強さをすごく感じてもいたので、やっぱ難しいだろうなという感じはありました。
だからこそ、やっぱここで何か爪あとを残したいという気持ちがあって。いろいろ考えたんです。
なんか、なんで今回コーチが来られなかったんだろうとか、どうしてショートでミスをしてしまったんだろう、とか。あんまりそういう運命主義者ではないんですけど、僕は。
でも、何かしらの意味がそこにあるんだろうなって考えて、で、もしそこに意味があるんだとしたら、ストッパーがいない今だからこそ、自分だけで決められる今だからこそ、ここでやってもいいんじゃないかなってちょっと自分を許してしまって。
だから、ある意味、あの4Aの練習すること自体が本当に1カ月以上ですかね、やっていなかったんですけど、やっぱスケートカナダからNHK杯までの間も1、2回くらいしかできなかったですし、もちろん、NHK杯からこちらまではもちろん無理でしたし、
それでもやりたいって思ったのは、ここで何かしら何かを残したいっていう風に思ったからであって、結果として跳べなかったですけど、あの練習はかなりいろんな覚悟を決めて。
やっぱりアクセルの練習をするのは、まあ毎回そうなんですけど、いろんな覚悟は決めていて。やっぱり回転がまだ足りきっていないジャンプの方が多いので、いつどこか痛めてもおかしくない着氷だったり転倒するっていうのもリスクはありますし、
あとは試合の公式練習だからこそ気合が入りすぎて、やっぱいつもより浮くだろうと。
そうなった場合に前に怪我したのと同じような状況になって、大きな怪我をしてしまうリスクもある。
で、もちろんこの時期に怪我してる確率も高いので、そういう意味でも怖いな、って。
あとは最後は、ほぼ試合を捨てるような覚悟でいっているんですよね。
ここで無理をして、力を出し切ったらやっぱりフリーまで持たないのは分かっていたんですけど、調整はしなきゃいけないはずなのに、ショートでも跳べなかったくせに、やっぱりそこでやるっていうことは、
捨てるという言い方はふさわしくないかもしれないですけど、試合ごとそこにかけるくらいのつもりで、そこのアクセルの練習にかけるくらいのつもりでやらなきゃいけないっていう、なんか覚悟があったんで。
まあ、そういう意味でも、いろんな覚悟をしながらこの試合過ごせましたし、
だから先ほど誕生日のお祝いをしていただきましたけれども、そういう意味でも、やっぱここは一生に一度しかないところですし、
ここの舞台がきっかけでいろんなことが回って、スケートができて、やっぱり憧れの地になって、オリンピックで優勝できてという風に全てがつながってきていると思うので。
跳べはしなかったですけど、ある意味、ここがまた自分にとってのきっかけの地になったなと思います。すいません、長くて」

――コーチが一緒だったらアクセルの練習はしなかったか
しなかったですね。たぶん止められたと思います、やっぱり。
やっぱり何が大事なんだって話になった時に、絶対に試合の方が大事なので。
それは自分でも分かっていたんですけど、でも、この絶望的な状況の中でここで何かを残さなきゃいけないという使命感がすごくあったんですね。
それは、前に言っていた理想の形の幼い頃の自分が見た時にそれを胸張って、自分がここで何かをやったかって言われたら、たぶん試合だけに合わせていたとしても、どっちにしろ、あの構成で完璧なノーミスをすることはたぶん不可能に近かったと思うんですよ。
たぶん、うん、10%もなかったと思うんですね、やっぱり確率的には。
それにかけるんだったら、それにかけててないんだったら、だったら、ここでホントやるべきことやろうと。
で、その中で思ったのが自分の中でやるべきことは、ここで4ルッツをしっかり跳びきることだったし、ここでアクセルを完成させたいっていう気持ちでした」