通夜の前日(むーくんパパ念願の外出日)

私は、実家から母の好きなものや、着物を運び(母は着物が好きだったので着物を着せました)葬儀場へ持っていきました👘

顔を一度拭かれるので、家から持ってきたメイク道具で再度メイクをしようとして母の顔を触ると…


氷のように冷たかったです…


ドライアイスの影響です。

でもその冷たさで、危篤から奇跡の回復をした時との圧倒的な違いを痛感しました…


通夜と葬儀は家族葬で行いました。

すごく、あたたかな式でした。

父が、人前で明るく振る舞うのが好きな母のために暗くなりすぎない式を選んだのです。

父は一貫して母のために行動しました。

母が入院中、父はどんなに疲れていても母の側に居たいと言って付き添ってくれました。

こんな人が夫で、母は幸せだったと思います。


あたたかな式で、私もむーくんも暗くなりすぎず、想像よりもお別れが辛くなかったです。

私には後悔や心残りがありませんでした。

危篤になってから毎日のように病院へ行き、母とたくさんの時間を過ごす中で、私に出来る範囲のことは全て出来たと思っています。

亡くなる前日に父が正しい判断をして、私が転院先の病院に会いに行けたのも大きかったです。

亡くなる前日に会えていなかったら、あの日会いに行けば良かったときっと今でも後悔していたでしょう。

危篤になったあの日から覚悟をしていたこの時。

後悔や心残りがない最大の理由は、むーくんの強い気持ちから、諦めかけていたもう一度母と話をすることが出来て、回復していく母を近くで見られたことだと思います。


むーくんと私は折り紙にお手紙を書いて、鶴を折って、棺に入れました。



ばあちゃんにもっと喜んでもらえるように、がんばってよかったと思えるように勝ってきます。
と書いてあります。

(東海と滝の入試のことです)


葬式が終わる頃には、私はある程度心の整理がついていました。整理をつけなければならなかったのです。

理由は、本命校の入試がまだ終わっていないからです。

ここで落ち込んで引っ張られてしまったら、母も喜ばないと思いました。

だから必死に切り替えました。


むーくんも同じです。

「俺、絶対合格するからね。」

棺の中のばあちゃんに伝えていました。


こんなに色々なことがあったのに、神様はまだ私とむーくんを苦しめます…


いや、神様ではなく、むーくんパパかも…?


つづく