その時…!

弟が到着しました。

弟は本当は翌々日に来てくれる予定だったんです。

生きている母に会う予定でした…

到着した弟は泣いていました。
弟が泣いているのを小学生ぶりに見ました。

弟は少し話せるようになった母を見たのが最後でした。車椅子に座れるようになって、移動できるようになった母は見ていません。
歯磨きだって自分で出来たし、飲み物も自分で飲めるようにもなっていたんです。

見せてあげたかった…

そして、弟は葬儀屋さんが到着するまで母に会えません。せめてメイクの時間に間に合っていたら…

葬儀屋さんを待つ間、会話は弾みませんでした。
何を話したか覚えていません…

葬儀屋さんが到着し、病室へ移動して運ばれる母を見送りました。

通夜は1/13に決まりました。
母は一度実家へ戻り、その後家族葬の出来る葬儀場へ移動します。

私達も一度実家へ行き、家族4人、最後に実家で少し過ごせました。

その後葬儀場へ移動し、ご住職が戒名をつけてくださいました。それが本当に母にピッタリの名でした。母もきっと気に入ってると思います。

父はその日、母と居たいと言って葬儀場へ泊まりました。
私と弟は帰りました。(弟は実家へ)

その日の私は朝9時から病院へ行き、家に帰ってこられたのは夜の9時でした。

家に着くと、結婚して初めてむーくんパパが家事をしてくれていました!
といっても洗濯物をとりこんで、タオルをたたんでくれただけですが…

それでも嬉しくてお礼を伝えたのですが…
明らかに機嫌が悪い…
確実に機嫌が悪い…
語尾も口調もキツいので、
「優しくしてとは言わないけど、今日は機嫌悪いのやめてほしい…」
と、お願いしました。恐らくこれが気に障り、
「何でオメェーに合わせないかんのだ!」
と、怒られたので、
家で泣かないようにしていた私も泣いてしまいました…
母が亡くなった悲しみと、こんな時にも怒られる悲しみ、どちらで泣いていたのか、両方で泣いていたのか分かりませんが、涙が止まりませんでした…

私は心のどこかで本当はむーくんパパに優しくしてもらいたかったんでしょうね…

でも、むーくんパパは大きな子供なんです。
そんなこと出来ません不安
巨人の星に出てくる、ちゃぶ台をひっくり返すようなタイプの男性が(巨人の星を見たことはありませんが)
休みの日なのに出掛けるのを我慢して、洗濯物をとりこんでタオルをたたんでくれたのです。
そんなことをしてくれたのは、結婚してからこの日、たった1日だけです!
むーくんと二人でコンビニへ行きご飯を買って、塾の送迎もしたのです。
それだけでも本当はすごいことなのだと今なら思います。(あの時、機嫌のことを言わなければ未来は変わっていたのでしょうか…)
でも、その時の私はむーくんパパの態度が嫌で仕方ありませんでした凝視
※そもそも私は受験の始まる1月~2月上旬までは、コロナやインフルエンザ予防のためにも出来れば不要な外出は避けてほしかったのですが、むーくんパパは大きな子供なので、それも出来ません不安

ただ、私は
MBTI(性格診断)を調べると、領事館らしく…
世話好きで相手をダメ男にしがち!
らしいので、私の性格のせいで、むーくんパパを大人に成長させられないのかもしれません…悲しい
むーくんを育てる方が楽なのは、なぜなのでしょうか…

泣いている私にそっと寄り添ってくれたのは、

むーくんでした…

むーくんはパパからコンビニで冗談っぽく、
ばあちゃんが亡くなったことを知らされたようで、
半信半疑のまま半日過ごし、中々私が帰ってこないので亡くなったことを察したようです。

そして翌日、むーくんパパは1人で外出しました。
すると…

めちゃくちゃ機嫌が良くなって帰ってきました!

大きな子供は単純でした汗うさぎ
つづく