初めて、私の母の病気のこと、入院のこと、危篤のこと…すべてをむーくんに話しました。
話し終える頃、家に到着。
むーくんは大号泣。
家のトイレにこもってしばらく出てこられなくなりました。
むーくんは、ばあちゃんが大好きでした
トイレから出てきたむーくんに、
「明日、病院に一緒に行ってくれる?」
と私が聞くと、
「弱っている、ばあちゃんを見るのがこわい」
と言いました。
「じいちゃんは、むーくんには知る権利があるから伝えるけど、病院に来るかどうかはむーくんが決めて良いと言ってたよ。」と私が言うと、少し悩んで…
「行く」
12月28日、仕事が休みだったむーくんパパも一緒に3人で病院に行きました。
そして、目の前で苦しんでいるばあちゃんを初めて見たむーくん。
ショックでその場から動けずいると、
部屋に来た看護師さんに、
「おばあちゃんね、意識はあるよ。話しかけてあげて。」
と言われました。
むーくんは、ゆっくり、ばあちゃんのところへ行き、手を握りながら、
「ばあちゃん。俺、ばあちゃんが良くなるって信じてる。車椅子でもいいから座れるようになって、話も出来るようになるって信じてる。俺、受験頑張るよ。だから、ばあちゃんも頑張って。」
私と父はハッとしました。
私達は心の中で諦めてしまっていたのです。
母が諦めたわけでもないのに、勝手に諦めていたんです。
でも、むーくんは違いました。
ばあちゃんに伝えた後、むーくんは病室の端に行き、みんなからあまり見えない所で声を殺して涙を流していました。
強くて優しい、むーくん。
私や両親が思うより、ずっと強くて優しかった…
母が心配していた、病気のことを話して受験が出来なくなるタイプではありませんでした。
小6の男の子に気づかされた私と父は、家族一丸となって母が回復すると信じて、ケアや声かけをすることを決意。
父は前日から病院に泊まり込みでしたが、私や叔父、叔母、弟とも協力し、常に誰かが病院にいて母の回復を信じて見守る生活が始まりました。
そう、ここからの私は、母の病院、むーくんの塾、受験、実家の家事、自分の家の家事、学校関係の役員…
一息つく暇もないほど忙しい日々が始まりました。
忙しさで疲弊。自分のメンタルを正常に保ち、家で一切涙を見せず明るく振る舞うことで精一杯。
むーくんのメンタルケアまでする余裕はありませんでした…
※ちなみにA2の恩師に母の危篤のことを電話で伝え、私は今のむーくんに何がしてあげられるでしょうかと聞いたところ、いつものお母さんでいてあげるだけで十分ですってアドバイスをもらいました。
こんな時にも相談に乗ってくれて、的確なアドバイスをくださった恩師には本当に感謝です
④へつづく…