今回から少しタイトルと更新頻度を変更して、

お送りしようと思います指差し


皆さんにも起こり得るかもしれない、でも同じ展開は誰にも起こってほしくない…そんな衝撃的な出来事があった中、私達はどう乗り越えて、受験まで走りきったのか。


そちらをお話したいと思います…


12月の最後の全国公開の後は、もう日能研では偏差値は出ません。

あとは受験まで各々頑張るのみ!


さぁ冬期講習です!

むーくんも気合いを入れて毎日、朝から自習室へ行き、そのあと授業を受ける日々。

※その時の勉強は、過去問と授業の振り返りがメインです!


そして私は職場から許可をもらって、受験が終わるまで仕事はお休みすることになりましたスター

皆さん、むーくんを応援してくれていましたにっこり


12月27日、むーくんが塾に行っている間に1本の電話がかかってきました。


相手は私の父から。


「お母さんが…もうダメかもしれない。今、病院から電話がかかってきて危篤状態になって面会許可が出た。お父さんは今から病院に行く。今日病院に来られそうか?」


ビックリしすぎて、思考が停止しました…


え?栄養をとるために入院してたんじゃなかったの?危篤ってなに…?


どうやら、栄養をとるために入院したが、接触障害は良くならず、それどころか面会禁止で今度は精神的にも辛くなってしまい、身体中の色々な機能が一気に低下してしまったそう。


入院中、私と父と母のグループLINEで頻繁に連絡をとっていても、そんな素振りは一切見せなかった母。それどころか、12月中には退院して、お正月はみんなで過ごしたいと言っていました。

本当は1人で辛い入院生活を送っていたことをその時初めて知りました。

そして、弱音は父にしか漏らしていなかったのです…


私はその日、友人と会う約束をしていました。

父から友人に母のことを話しても良いと許可をもらったので、父の電話を切ったあと、友人に電話をし、今日のキャンセルと、初めて家族以外に母のことを話しました。


気づいたら、泣いていました


電話でほぼ泣いていた私。号泣して言葉にならない。きちんと会話になっていませんでしたが、
友人は、
「私のことは気にしなくて大丈夫だよ!お母さんのところへ行ってあげて!」
と言ってくれました。

そして私が病院へ行くと…

②へつづく…