今週末で、JRA所属の中野栄治調教師と安田隆行調教師が定年で引退する。
以前は騎手、調教師とも2月の最終週で免許が切れたと思ったが、現在は2月の最終日が木~土曜日の場合、免許はその翌週火曜日まで有効との事だ。
なので今週は、新人ジョッキーのデビューと引退調教師のラストが重なっている。
話を両調教師に戻すが、どちらも私が競馬を始めたころにダービージョッキーとなった思い出の調教師だ。
中野師は1990年アイネスフウジンでダービーを制している。
当時は武豊をはじめ、横山ノリや松永幹などの若手ジョッキーが人気で、若い女性にも競馬が広がっていたころだった。
そのためオールドファンのジジィたちは、初心者が競馬場で傍若無人に振舞うさまを、苦虫をかみつぶしながら横目で見ていた。
その年のダービーも一番人気は弥生賞を勝ちノリ騎乗のメジロライアン、2番人気は皐月賞馬だが武豊に乗り替わったハクタイセイで、最優秀3歳(現在の2歳)牡馬で共同通信杯も勝っているアイネスフウジンは、弥生賞4着、皐月賞2着のためか3番人気だった。
だが軽快なラップを刻み、アイネスフウジンは見事に逃げ切る。
競馬場を若者に占拠され忸怩たる思いを抱えていたジジィたちは、武豊も横山ノリも蹴散らし苦労人の中野がダービーを獲った事で思わず「ナカノ」コールを始めた。
私が知る限り、競馬場でコールが起こったのはこれが初めて。
当然のように、武豊もしくは横山ノリの馬券を買っていた若者は茫然としていた。
中野師は調教師になってからも、G1馬のトロットスターを育てている。
その翌年のダービーを勝ったのが、安田師騎乗のトウカイテイオーだ。
ダービー以降は岡部に乗り替わっているため勘違いをしている人も多いが、皐月賞とダービーを勝ったのは安田隆行である。
父が皇帝シンボリルドルフ、母はオークス馬トウカイナチュラルの半妹という良血で、ダービーまでの6戦すべて一番人気という超お坊ちゃんに苦労人という組み合わせが、強烈に印象に残っている。
安田師も調教師になってから、トランセンド、グレープブランデー、カレンチャン、ロードカナロアの4頭のG1馬を育てた。
そして、この二人と同時期にダービーを制した苦労人がいる。
小島貞博だ。
この二人よりも2歳年上で、ミホノブルボン、タヤスツヨシの2頭でダービーを制している。
しかも2回とも一番人気での勝利だ。
詳しく調べていないが、強烈なプレッシャーがかかるダービーを一番人気で2回勝っているのは、他では武豊くらいではないだろうか。
小島貞博は他にも、チョウカイキャロルでオークスも制している。
小島貞博も騎手引退後は調教師になっているが、12年前に親族の借金を背負ったことが原因で自死している。
現役時代は恩師戸山為夫に可愛がられたが、戸山師が現役で他界し厩舎が解散になった後は、その後釜であった森秀行調教師とは溝が生じてしまった。
それは二人の師の戸山為夫が、「自分は温情で所属ジョッキー(小島貞博)に甘くしてしまったが、本来は馬主の意向を取り入れることが重要だ。自分と同じように所属ジョッキーを温情で騎乗させるようなことをするな」と森師に強く伝えたからだと言う。
かつては調教師が所属ジョッキーに愛の鞭をふるうなどという事は日常茶飯事だったようだが、今はコンプライアンスの時代だ。
調教もすべて科学的に行われている。
それはそれでいい時代になったとも思うが、競馬サークルからも昭和の時代のなごりが少しずつなくなっていくのはちょっと寂しいと感じた。
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