
人生の転機1の続きです
私は小さい頃から料理を作る事が大好きでした

実家が自営業だったこともあり、家にいるのはいつもおじいちゃんと姉と私

私が小学校3年生の時に夕方6時になっても帰って来ない母親。
父親はその頃雀荘に入り浸っていたので、もちろんいなかった。
で、私が「ピーマンの醤油炒め」を作って3人でご飯を食べた。
これが、私の作った始めての食卓。
お腹が空いていたからなのか、ちょっと焦げてたのにとっても美味しかった

その後も、お菓子作りにハマったり、高校生だった姉のお弁当も楽しんで作っていた。
姉はとっても食べ上手な人で
何をどんな風に作っても、いつも美味しい美味しいと言って全部食べてくれた

私はその美味しそうな顔と美味しいって言ってもらえるのが嬉しくて仕方なかった。
認めてもらえる事が嬉しかった。
高校生になって近所のお惣菜やさんでバイトを始めた
料理があまり好きではない母親に代わって、バイト先のパートのおばあちゃんやおばちゃんに
冠婚葬祭料理や煮物、寿司など色んな料理を教えてもらった。
若干19歳の時に親戚の叔母のお葬式で
親戚として参加したにもかかわらず、料理を作っているおばちゃん達のヘルプに回ったあげく
結局厨房を仕切ったのは、今じゃ武勇伝になっている

高校を卒業してから電気系の会社で働きだしても
週末はお惣菜やさんか、泊まり込みでスキー場ペンションのキッチンに立っていた

Tさんに会ったのはそんな時だった。
Tさんに触発されて、「私は本当はなにがしたいんだ!」と考えた時に
結局私は根っからの料理好きなんだと思った。
でもただ料理を作るだけじゃなくて、食卓をデザインする「フードコーディネーター」になりたかった
でもその当時(今から25年前くらい)そんなものは世の中に無くて
行き着いた先が栄養士だった
食卓がデザイン出来ないなら、食で人を健康にする人になりたいと思った
祖母を糖尿病で亡くしているので、体における食の大切さを知って伝えたいと思った
そして私は東京の栄養士専門学校に入学して姉と一緒のアパートで暮らす為に上京するのです

ただ、その気持ちの裏には
愛情はくれないくせに束縛だけはして
子供を愚痴のはけ口にする親から
離れたい、逃げたいという気持ちがありました

つづきはまたつぎのブログで