アミューズ事務所の三浦春馬に対する追悼の言葉に、「彼という人間をもっと深く理解していたなら・・・」「彼のような傑出したアーティストを守ることが出来なかったことは、悔やんでも悔やみきれない」という文句があった。
今思い返してみると、その意味はこういうことだったのかと合点がいく。そもそも春馬さんがアミューズの体制に関して疑念を持ち始めたきっかけはAAAチャリティイベントの募金の使途であった。岸谷五朗氏や寺内康文氏に代わって経理を任されたばかりに、知らずに済んだことを知ってしまったのだ。弱い者に優しく正義感が強く完璧主義者の春馬さんは、自分が納得できないことはどこまでも追及したのだ。その姿勢はアミューズ社には不快なもので、絶たなければならないものであった。
一般に権力のあるところ、大金の集まるところには、人間の弱さが作る闇があるものらしい。芸能界はそうなりがちな世界であろう。
もし春馬さんがそういう世界を知らなかったら、傑出したアーティストとして長く活躍できたかもしれないと思う。
事務所が彼をそうした世界から遠ざけてくれていたら、あんな悲劇は起こらなかっただろうにと「悔やんでも悔やみきれない」
のだ。
闇の中には、もし明るみに出たら、世の中がひっくり返るような大きなものもあるに違いない。
かつて春馬さんは「明るみに出ることが清いのか、明るみに出ないことが清いのか」とツイートしていた。
聡明な彼はすべてを飲み込んでいたのかも知れない。彼は闇を浄化するために生まれてきたのかも知れない。