り子です。
8月に、強制終了で 1ヶ月も、
思いもよらなかった入院があって…
その過程で、
これまた思いもよらなかった
わたし史上 いちばんの
パカン
があって…
以来… たぶん、一番の変化は
わたしの “自分責め”が
だ~~~いぶ 規模縮小 したこと。
たぶん、なくなってはいないと思う。
今はおうちでぬくぬくとしているから
いま出てきにくい環境なわけで…、
やっぱりね、わたしの何かを刺激する環境にいると
おしゃべりサロンに参加してみた時や…
このブログを書くにあたって…とかさ。
やっぱりあるよね。
自分をジャッジする目。
(自分の目~)
いや、パカン後は、
そりゃもう、劇的に少なくなっているけれどね\(^o^)/
ここでも、書いたんだけど…↓↓↓
わたしね、こうなっちゃっててさ…
自分を幸せにする話…
人生を好転させる話を聞いても、受け取れなかったんだよね。
「“自分を大切にする”という言葉に恐怖を感じる」
「そんな自分に絶望したよね」
これにとことん人生振り回されたよね。
自分で設定したんだけどさ…
で、結局、
自分責め、あ、もう、いらね~ ウケる~
ってパカンしたら、
自分を大切にする、という言葉に
恐怖感は出てこなくなったみたい。
でもね、でもね、
今まで、自分を大切にしてこなかったわけよ。
じゃぁさ、これから、自分を大切にする、とは何なのか?
?ほにゃ?
って、なるの。
今回の入院パカンに、
な~んか湧いてきた言葉。
「友人に、おうちに通ってもらって、メダカと植物の世話と、私の持ち物の運搬を頼んでもいいかな…」
「きれいなおねえさんになってもいい、一回やってみようよ~」
「旦那さんと、罪悪感と心配ナッシングで、リッチ温泉旅 したい」
「これ買ってみたい、あれ買ってみたい」
「看護師さんに、わたしの快適の為に、〇〇してくださいって要望する」
なんかはやってみたの。
で、、、
家に帰って来たら?
うん、その時その時、思いつくまま、してるつもりなんだけど…
今までね、きっとそこには
いちいち、罪悪感とセットになった
私の前提があるのだろうけど、
今まで、自分を後回しにしてきたわけよ
教室では、必ず私が一番寒い場所にいるようにしていた。
温かいところは、当然、生徒さんよ。
自分を温かくする工夫は衣服のみだった。
実は、夕方…まわりのおうちの灯りがともる頃に
会場の設営に、ひとりぼっちで出かけるのが何か寂しかった。
でも、仕事だろ。そんなこと言ってる場合じゃない。
旦那さんにごはんをよそる時、古いごはんは私によそった。
旦那さんには、見た目のよくできたおかずをよそる。
トイレ…いきたくなっても、ちょっと我慢する癖があった。
のどが渇いても、家に帰るまでガマン、とかしてた。
物を買うとき、吟味して吟味して…結局、買わない。先延ばしにする。
重いものを持っていて、更にドアノブ回したりするとき、無理な姿勢で、ちょっとの間ガマンしたり。
お店とかで、問い合わせはできるんだけど、
自分の要望を通す為に、
店員さんを動かすことは試しに言ってみることもしたことなかった。
ある日、、車に戻ってから、あ!簡単に引き下がらず、もっと次の要望をしたらよかったのに…って、思いついたりした。
自分が何度も足を運ぶことを、、自分の不便を、やすやすと承ってしまった
↑
私が客やのに!
もう、日常の些細なことで、
いままで気にも留めなかったことで、
アレ?
ってなってる。
自分の、快、不快、をもう一度、吟味しなおしているところ。
自分を後回しにする。
自分のことを、面倒くさがる。
カンタンに扱う。粗末に扱う。
そりぁあ、もう自分を責めてるのと一緒や。
これさ~~、教室で、わたし、みんなに言ってたことだよなぁ
自分が寒いのを、我慢しないでね。
ストーブの側に移動して、いいからね。
トイレ行きたかったらガマンしないでね。
寒かったら、動きを中断して、靴下履いたり、服着たり、してね。教室の流れに遠慮しないでね。
私が一番できてなかったぁ~~
自分が 自分をどう扱っているか?
で、
他人が 私をどう扱うかが 決まる。
その心屋公式からしたら、
この世界には、「わたし」ひとりしかいない。
(相手の立場や都合を考えず、わがまま傍若無人になるのとは、ちがうよ)
わたしね、自分のこと、むっちゃ大切にすることを、ここに誓います。
生活全般、見直し見直し~~~
私の入院中、過酷な環境の中
生き残ったメダカ。
(初夏に、うちで生まれた子なの~~♡)
献身的に通ってくれた、友人のおかげです。
そして…罪悪感に負けず、友人にお願いしてみたわたしのおかげ!!