2024年4月12日
 
2020年7月、食道がん術後丸3年を迎えた私は「癒やしの存在が欲しい」と生き物を飼う事に反対する母に懇願し、ジャンガリアンハムスターの男の子をお迎えました。
【ハンサム栗の日常】
初代おハム様、二代目空くんに続き、三代目に選ばれた栗ちゃんは4月7日、元気に1歳の誕生日を迎えました。
 
初代と2代目は声を掛けても気が向かなければ知らんぷりだったけれど、栗ちゃんは母と私にとても懐き、常に二人の姿を探しては「出してー!出してー!」と大騒ぎ。
 
かわいい栗ちゃんに母も私もメロメロです。
 
ボク、1歳になったんだよ。これからもよろしくね!
 
※【音量注意!】テレビの音が入っています。
寝るかゴハンを食べるか毛繕いをして1日を過ごす栗ちゃん。カキカキする度にあんよをペロペロ舐めます。


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ここから先は後ろ向きで暗ーい話です。いつもの前向きなマノン劇場ではありません。そういう話を読みたくない方は、ここでブログを閉じて下さい。ごめんなさい。
 
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3月後半、私は少し元気になった途端、調子に乗ってネットスーパーで大量の食材を調達。3食すべて料理を作り、ゴムベルトを使った筋力トレーニングにせっせと励むという暴挙に。

 

案の定、4月1日の夕方に突然、両足の膝から下が麻痺したようになり、くるぶしから足裏、つま先までが激痛に。経験した事のない痛みで歩くのもままならなくなりました。

 

それを機に体調とメンタルを崩してしまいベッドでほぼ寝たきり生活に逆戻り。熱も毎日37度台あり、夕方になると38度前後に。


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その後、1日おきに早朝目覚めると大量のドロドロした膿状の痰が次から次へと気管から上がって来て溢れ出るようになりました。

 

咳する度に出る膿状の痰は1回で片掌いっぱいの量。こんな大量に出る痰は初めて。そして全部出し切るのに2〜3時間掛かるため、とても体力を使い午前中はぐったり。

 

残した右上葉が痰で満杯になると、自動的に気道に上がってくるようです。

 

大量の痰が気道を塞ぎ呼吸が苦しく、SpO2が83%や78%になる朝もありかなり焦りました。今は早朝に事前に気管支拡張薬を吸入する事でSpO2の低下はなくなったのですが。

 

SpO2が98%や99%あっても自室のベッドからトイレや居間に行くだけで、ものすごい息切れがキツい。そして右胸も前後ともに痛い。

 

「右膿胸の病状が進行しているのではないか。私はいつまで生きられるのだろうか…」と不安になります。

 

来週はかかりつけ医の呼吸器内科で経過観察。その時に介護認定の申請や障害保険申請、訪問医療について主治医と話し合います。

 

どうしてもまだ認めたくなくて各種申請を留まっていたけれど、どんどん弱っている現実を無視できなくなりました。

 

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4月2日。昼のニュースで「マノン地方はソメイヨシノが満開」との報道。体調不良と両足ヒザ下から爪先までの痺れ&激痛で室内でも歩く事すらままならないのに、どうしてもこの目で桜が見たい。

 

夕方の天気予報で「明日は花散らしの災害級の大雨になる」との報道。

 

本当は毎年恒例の自宅から徒歩15分の大きな公園に行きたいけれどそれは無理。天気予報を見た後、自宅裏の公園(自宅から片道100メートルほど)までチャレンジする事に。

 

左腕で母の右腕につかまり、右手でストックを付きながらでゆっくりゆっくり歩きました。

 

しかし50メートル歩いた時点でギブアップ。体力も脚力も無理。50メートル地点にあるマンションの大きな桜の木を見るのが精一杯でした。でもテレビ画面を通してではなく、この目で今年の桜を見られた事は本当に良かった。

 

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ほうほうのていで帰宅。

 

筋力も体力もないのでお風呂に入るのも毎回命懸け。全裸になると改めて、自分の足や腕、鏡で上半身を見ると骨と皮しかない事を思い知らされる。

 

体重を計ると1週間前より1キロ減って32.7キロしかなかった。体重計に乗るのが怖い。

 

母の認知症的発言についイラッとし、些細な事で母に当たり散らして申し訳ないし、そんな自分が情けない。

 

自分の骨と皮だけの姿がとても惨め。どんなに頑張って食べても太らないし、嚥下能力が低下して喉にすぐ引っかかる。

 

筋トレしてもやせ細る現状。

 

桜を見た後、とてつもない絶望感に苛まれ「もっと生きたいけれど、生きているのも辛い。もう死んで楽になりたい」と、居間で母を前に号泣してしまいました。

 

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私は自分で言うものなんですがとても我慢強く、というかあらゆる事に冷めていて、中学生になってからは泣いた事がほとんどありません。食道がんになっても気管に転移しても常に冷静に対応して泣く事はなかったです。

 

ただ、私が20代の頃。毎年、夏休みや年末年始に帰省して東京に戻る私を両親が空港で見送ってくれる時だけは別でした。

 

私が荷物検査場を抜けるまでずっと見送ってくれる父と母。食道がんになりやせ細った父の姿。私は何度も振り返っては笑顔で手を振り続けました。

 

荷物検査が終わって最後に手を振ると、搭乗ゲートへ向かいながらいつも大粒の涙を流して静かに嗚咽(おえつ)していました。

 

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今回、30年ぶりに号泣した甲斐あってか、翌日は気持ちを切り替えて前向きな私に戻りました。

 

しかし…。母の認知症が少しずつ進行しているのが顕著で、物忘れや同じ事を何度も言うことが増えています。

 

そして晩酌でお酒が入ると、私に対して天邪鬼な発言を繰り返すようになり、言葉で私を攻撃して来るため精神的にかなり参っています。

 

早く病院で認知症検査を受けさせたいけれど、私が同行する必要があり、まだ私の体力がないので頭が痛い。

 

私自身についても母のことについても、悲観的・絶望的になってしまいます。

 

母についてはまた次回、詳しく書きます。