2023年7月5日
 
思いの丈とこれまでの経過を綴ったらとても長くなってしまいました。暇つぶしの時間にゆっくり読んで戴けたら幸いです。ご心配をお掛けしました。マノンは無事に生きています。
 
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術後1カ月半を過ぎる頃から体調不良が始まり、長い間ブログを書けませんでした。そんな理由からコメントへのお返事も書けずごめんなさい。そして食道がんの寛解について、お祝いコメントやブログを更新しない私の体調を気遣うコメントを下さった皆様、ありがとうございました。
 
まさに薄紙を剥ぐように少しずつ回復し始め、6月後半から一念発起してようやく暗く長いトンネルを抜け出し、ベッドから立ち上がれるようになった次第です。

 

4月末にイケメン病院の経過観察で「食道がんの寛解」を告げられたのは嬉しかったけれど、それ以上に開胸を伴う荒蕪肺(こうぶはい/Destroyed Lang)の手術&再手術のダメージが非常に大きく、激しい痛みに耐えられなくなり徐々に心を病み抑うつ状態となってしまいました。

 

食道がんの寛解についての詳細は後日ブログに書きますね。

 

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J病院での入院生活に精神的限界を感じ3月末にJ病院を強引に退院した直後は、入院で受けたストレス発散の気持ちが強く母と花見、デパートの催事(全国の銘品)、ホークス観戦などに出掛け、キッチンで料理も作れるようになりました。

 

しかしかなり無理をしたせいで、5月中旬頃から徐々に体調を崩す日が増えてベッドに臥せる事が増えました。

 

5月23日は呼吸器クリニックでの経過観察。もう体力的に行くのは無理だとキャンセル。しかし母に励まされてタクシーの送迎でなんとか診察に行けました。

 

しかし無理が重なり5月31日の野球観戦でエネルギーが完全に切れてしまって寝たきりに。食欲もやる気も失せて栄養ドリンクのみの日々が復活。お酒を巡る母との諍いもあり、抑うつ状態になってしまいました。

 

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そんなわけで現在、体重はJ病院退院時の35キロ(身長165センチ)のまま。

 

とにかく生きている事が辛くて「J病院で処方された向精神薬では足りない。精神科医の力を借りて日中も前向きになれる薬を出して貰わなければ回復できない」と思ったけれど、お風呂に浸かるのですら命懸けのため髪もロクに洗えず伸び放題でボサボサ、白髪染めもできず白髪だらけ。こんなみっともない姿で病院に行ける状態ではなかった(しょうもない見栄はある)。

 

J病院での入院道具を仕舞ったスーツケースはおろか冬服の片付けもできず、何もやる気が起きずに1日中横になっていた。就寝まで自室で飲むお酒の量も増えた。しかし「こんな精神状態になるのはもう3度目。なんとか自力で回復したい。自分ならできるはず」と思い続けて少しずつ回復していったのは進歩だと思う。

 

いろいろと辛い事が重なりました。

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◎右脇腹の術後の傷がナイフで刺すような激痛で耐えられない。痛み止めは貼付薬や飲み薬を複数使用しているが、薬効が切れる頃になると激痛が走るので痛み止めが欠かせない(トラムセット4錠/日、タリージェ2錠/日、ジクトルテープ1枚/日)。

 

右脇腹の痛みついては、ブログを拝読している呼吸器系のがんで肋骨を数本切除した方が主治医に言われた「肋骨を切除したのは骨折したのと同じ事だから数カ月痛くて当たり前」と記述を見て「なるほど」と納得した次第。

 

私の場合、3月上旬に手術をし右脇腹を30センチ切開。4番と6番の肋骨2本を抜去し、5番をずらして手術野を確保。さらに3月下旬に再手術で同じ箇所を切っている。術後まだ3カ月しか経過していない。痛くて当たり前なのだ。

 

◎強い倦怠感と術後の痛みが1日中続くので、食事とトイレ以外は寝たきりになって歩けなくなってしまった。自室からリビングに行くだけで呼吸が苦しく、まずは安楽椅子での安静が必要だった。

 

◎急に立ち上がるとめまいが酷くてトイレに間に合わない時があり、たまにおむつ生活を余儀なくされた。

 

◎1日数回、ちょっと下を向くだけで濃い痰が肺から気管支に上がってくる。その際はベッドに右側臥位で15分〜1時間、喀痰と格闘。溜まった痰を全部出しきるまで涙と鼻水で顔はグショグショに。肺に痰が貯まると炎症を起こすので出さないといけないのだが、これはかなりキツい。今も1日1〜数回毎日続く。

 

◎食事の喉の通りが悪くなり嚥下に苦労し食事が満足に取れないのでイラつく。よって体重が35キロから全く増えない。

 

◎眠剤と向精神薬を飲んでもぐっすり眠れず悪夢にうなされて1時間おきに目が覚める。あるいは全く眠れない日々が続く。前夜の奇行や発言が翌日全く思い出せない日もあった(人格乖離の一種)。

 

◎病気知らずの母はその時の気分によって私に対して優しい時と意地の悪い発言が交差する。当然、心が弱っている私は意地の悪い事を言われるとぐっと気分が落ち込む。母を含めた女5人姉妹は若い時から気が強く高齢になると更に意地が悪くなっていった。

 

認知症が始まると意地の悪い性格(皮肉屋)の人はさらに底意地悪が悪くなると聞くが、母や叔母たちはその典型だと思う。普段、私が母の物忘れやテレビの音をやんわり注意するので、ここぞとばかりにその復讐をしているのだと感じる。

 

母の物忘れが少しずつ進行している(まだらボケ状態)というのも、私の悲しみと苦しみを助長した。私がこんな状態なのでまだ認知症専門医の診察を受けさせていない。

 

だから最近は母に意地悪を言われると反論はせず小声で「悲しくなるからもう意地悪は言わないで」「ごめんね。私が悪かったね。私はもう死んだ方がいいね」と言ってしょんぼり自室に戻るようにした。

 

すると母がハッとして部屋のドア(母は天岩戸(あまのいわと)と呼んでいる)をノックし「私も悪かった。ごめんね。リビングに戻っておいで」と言ってくれるようになった。『北風と太陽』の寓話だ。物忘れを指摘されて母も傷ついている。仲良くしなくては。

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そんな暗黒の日々が5月中旬から6月中旬までの1カ月継続しました。そして6月後半の呼吸器内科クリニックの経過観察に再び気合いを入れて行き、そこから少しずつ光明が見え始めました。

 

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生きるために一生懸命闘病されている方には本当に申し訳ないけれど、「生きるのがこんなにキツいなら死んだ方がマシ」と何度も思うほど、キツかった。肺の術後の傷跡の激痛が心底辛い。向精神薬と眠剤を飲んで意識を失い朝までぐっすり眠る時が最高の幸せな時間となった。

 

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5月18日に報道された、ファンの市川猿之助さんによる一家心中事件(真相は藪の中だが)も私の心にダメージを与えた。昨年末に緊急入院したイケメン病院を1月末で無理やり退院し、2月のスーパー歌舞伎を観劇したばかりだったのに。

 

そういったストレスからなのか、額→右まぶた→左まぶた→右頬と湿疹が広がった。家にあったクロマイP軟膏とワセリンを塗り続けても一向に良くならない。そして心のクリニック、入院中にできた虫歯治療のため歯科医にも行きたかった。とにかく髪を洗って白髪染めしなくてはの一心だった。

 

気合を入れて髪を染め、6月の最終週に皮膚科と心のクリニックに行けました。いずれも普段なら歩いて15分足らずの所だが(いずれも初診)、母に同伴してもらい杖を付きながらバスで行った。

 

心のクリニックでは、これまで就寝時に服用していた向精神薬のミルタザピン(セトロニンとノルアドレナリンを増強)と眠剤のゾルピデムに追加して、朝に服用する向精神薬のエビリファイ(ドーパミン(神経伝達物質)を調整する)を処方され、意欲が出て食欲増進の効果もあり効果はドンピシャだった。やはり餅は餅屋だと感心した。

 

※セトロニン、ノルアドレナリン、ドーパミンはストレスに関係する3大ホルモン。詳しくはこちら↓

 

そこから一気に精神状態が回復し、リビングに出て母とテレビを見てワイワイ楽しくお喋りし、私が作った食事を3食楽しめるようになりました。

 

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ところが。

 

母に悪いなと思い、母の外出時にお風呂をスポンジで洗浄したら、手術した右脇全体に刃物でグサグサ刺すような激痛が走った。眠るまで鎮痛剤が全く聞かず激痛にもんどり打ちました。

 

そして料理中に、右手で山芋や生姜をおろし器でするだけで右脇腹がまたしても激痛に。

 

唸るほどの激痛で痛み止めのトラムセットが効かない。ネットで検索すると日本呼吸器学会のサイトにたどり着く。

 

どうやら「開胸術後疼痛症候群」というもので、手術の傷の痛みが癒える頃に発症し、少なくとも2カ月は痛みが持続し、寛解・増悪を繰り返して症状は半年〜1年続く。なんと肺の手術を受けた8割の患者が痛みを訴えるとある。

 

6月末の呼吸器内科の受診で貼る痛み止めのジクトルテープ(新薬)を貼っていたが痛みが軽減してきた事と、薬価が1枚155.8円(3割負担で約50円)もするので、主治医に相談して中止したばかりだった。

 

ジクトルテープを復活させるべきか。一難去ってまた一難。

 

最近、薬価について調べるようになっていた。何しろ長期で薬を服用するので節約したいし、ジェネリック医薬品を選ぶ事で国費負担を軽減したい思いもあるので。

 

新薬のジクトルテープは皮膚から吸収されて胃を荒らさず全身の痛みを鎮める優れものだけれど(あちこちに転移したがん患者向け)、今の私は局所的な激痛なので普通の貼薬で対処すれば良いから薬価を調べてみた。ロキソニンテープ100mgが21.4円、ボルタレンテープ15mgが12.3円。しかしがん治療に使うフェントステープはなんと0.5mgで278円もするので驚いた(価格は10割負担の場合であり、私は3割負担)。

 

そして早速、昨年バイクに轢かれて左手首を骨折した際に処方され保管していたモーラステープ40mg30.4円を局所に貼ってみたら15分もすると右胸の痛みがすーっと引いた。ホッ。

 

肋骨の痛みは骨折の痛みと一緒だから骨折の貼り薬で対処できるとわかり不思議な気分。でもこれで呼吸器内科クリニックの診察を早める必要がなくなったから良かった。

 

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そしてそして。遅いご報告なのですが。実は今年の2月11日の朝、突然に空くんは旅立ってしまいました。全く病気の兆候はなかったのに…。

 

2月末にJ病院に入院して手術日が決まった直後だったので、母や親しいブロともさんは「きっと空くんはマノンの身代わりになってくれたのよ」と言いました。生き物は敏感だからそうなのかもしれないと思いました。

 

私がJ病院を退院してからというもの、空を話題にすると母が「空がいなくなって寂しい。新しい子をお迎えしたい」と涙ぐむようになりました。

 

なので母が少しでも元気になればと思い、6月後半に体力もかなり回復して杖を付けば歩けるようになったので、新しい子をお迎えに母と行って来ました。生後二カ月、ジャンガリアン(ノーマル)の男の子です。

 

名前はソフトバンクホークスの栗原選手から戴きました。

「ボクは栗(クリ)です」

「ボクは栗ですよ」
「ボクは栗ですけど。ケージから出してください」
ゆでトウモロコシをもぐもぐ。
 
しかし、その後。栗ちゃんは凶暴な噛みつきハムと判明…。ヤレヤレです。なんとか可愛がってあげたいのですが。栗ちゃんの続きはまた今度。
 
本当にご心配をお掛けしましたが、読者の皆様からの励まし、クリニックの主治医や精神科の医師のアドバイス、母の懸命なサポートにより、ようやく立ち直れました。これからぼちぼち楽しいブログを書いて参りますね。お待たせしました。マノン劇場の始まりです!