2012年3月15日

今日は勤務先の月に一度の全体会議。会議終盤、自ら挙手して「3週間程、入院します」と発表した。普通、3週間もの入院なら「かなりの重病」と思うだろうに、後で平然と「病名は何ですか?」と直接私に聞くデリカシーのない人がいた…。まあ、世の中の人なんてそんなものかと思い知る。

帰り際、社長に呼ばれて別室に行くと「はい、これ!」と役員達からのお見舞いが入ったのし袋を渡された。「随分、分厚いな」と思う。帰宅して開けてみると10万円が入っていた…。前社長と現社長は、私の郷里の公立進学校のうちの一つである某高校の出身。そこは私の出身高校と兄弟関係みたいなものなので、お互いに妙な連帯感がある。◯◯県人会も、国内のみならず世界各国で盛んな県なのだ…。

現社長と二人で今後の経緯について話していたら「貴女は、強いね…」と泣かれた。「お前が泣くな!」と叫びたかった。だって、くよくよしても仕方ないし! 落ち込んだり泣いた所で病気は治らないし! 人前で不愉快な顔をしないように育てられたし! 人前で暗い顔はしたくないし!

今までも、困難な目に遭った時、周りの人がたくさん助けてくれた。今回もそうみたい。ありがたい事です。昨日、舌癌ブログの集合サイトを見つけて、順次読んでいるが、私と同じステージ1で舌を外科手術で切った人は、切った後、みんな苦労している。

やはり食事…。切除は私と同じ大きさ(ステージ1なので2センチ未満)だけど、切られた部分(舌の奥の方)の空白地帯に噛んだものが溜まってしまうらしい。ほんとに切らない選択をして良かったと思った瞬間だった(まあ、この件ついては、術後、本当に正しかったのかどうか悩む訳だが…)。

食いしん坊魂に火がついた。A病院の口腔外科医は「切っても痛くないし、すぐ治る」みたいな事を言ったけど、嘘ばっかり。切った人はみんな、術後の痛みと、食事のつらさと、舌の痺れに苦労している…。日本人って文句言わないから。「命があるだけで感謝します」的な精神論と医療を混同。実際の所、切ってもいない、放射線の針も刺していない医師や看護師は、私自身がそうであったように、当事者の苦悩や苦痛など理解できる訳がない、と(後々)実感する。

明日の夜は、会社の新人歓迎会。ある意味で私の壮行会でもある。最初にA病院に行った時の予定通りならば、昨日手術していた事になる…。ここの所、寒い。でも、その方が桜の開花が先送りになるから都合がいい。私が退院する頃には桜が満開になっているはずだ。

2012年3月16日

いつの頃からか鼻づまりじゃないのに口を開けて寝る癖がついており、口腔内が乾燥するので口に医療用テープ貼って寝てみた。しかし、息苦しくて熟睡できない。口が空いてると乾燥するので患部が歯に当たって痛い…。

昨夜の会社歓迎会では、みんなに激励してもらった。病名について知っているのは役員のみで、私の親に言うか言わないかは賛否両論だった。「もし、自分の娘がそうなったら」と言われても、私には子供がいないからわからないし…。知らない方が良い事もたまにある。でも、毎日考えてみる。でも、正解はないから、毎日考えても答えは出ない。何かのきっかけで親にバレたら考える。

バレるというか「何で電話できないの!」から始まるだろう。母親とは週に数回ペースで電話で話すから。でもまあ、今年はFacebookの影響を受け、年末年始に私が夜遊びして明け方まで連絡が取れないという免疫が母にもできているハズ。

仮定の話をするなら、もし、私の娘が癌の事を黙って墓場まで持って行くならそれでいいかも…。あるいは医師から「貴女の余命は一年」と言われたら、別だけど。「いつ再発?」という心配を親に掛けたくない。こういう難しい問題は、誰かに話をして、自分なりに何度も考えて、ようやく結論がでる。いや、結論なんて出ない。

でも、私は全然けろっとしている。現実感がないと言えばそれまでだけど、全然、心配してない(この当時は…です)。仮説は仮定でしかないもん。現実あるのみ。まあ、人生一度切りだから、やりたい事をやらないと。私は人生やりたい放題やってきたから、今更、後悔はない。