和歌山県の南紀あけぼの園で障害者の虐待通報があり、今回はマスコミ各社が取り上げた。
上記のように法人のHPには謝罪文が載っている。
私自身、障害者施設にて通報の経験があり、それに基づいて以下にまとめてみた。
大して参考にもならないかも知れないが、ご一読いただければ幸いである。
本事件については、SNSのコメント欄に色々と書き込みがある。
ただ、障害者施設の実態を知らない方や勤務経験のない方は、何とでも言えるのだが、
以下の文章は経験に基づいたものであり、多少は真実味があると思う。
○ 事件から見えてくること
スマホで画像を共有したということは、組織全体にそういった事が許される雰囲気があると考えるべきで、画像が重要な証拠として残っていたので通報が実を結んだと言える。
日常的に利用者の動画や静止画を個人のスマホで撮影・共有することが行われていたのであろう。施設によっては撮影は、組織のカメラでなければ許されないところも存在し(高槻市の北摂杉の子会)、私はその施設での勤務経験がある。ほとんどの職員は撮影の規則を遵守しているが、一部の勤務の長い職員は個人のスマホで撮影をしていた。それに対して、誰も注意はしなかった。いや、注意できなかった。
南紀あけぼの園で問題となった職員も新人ではなく、中堅になりつつある立場とのことで、こういった中途半端に経験のある職員が一番扱いづらいのである。謙虚さもなくなり、周りも注意しづらい。
○ 花の会の事例
私の場合、高槻市の社会福祉法人花の会において高槻市の障害福祉課に通報を行った経験がある。
経緯については、以下のURLを参考にしていただきたい。
私の通報の場合だが、残念なことに高槻市の対応が最悪であった。
誠意のかけらも見られない市役所の職員に対して私は、通報はなかったことにしてくれと言った。
しかし、彼らは勝手にやってきた。誠に迷惑な連中である。
高槻市の場合、通報者を守るつもりは全く無いと言える。
そのため、高槻市で通報を行う場合は、十分に気をつけてもらいたい。
○ 通報する人の気持ち
公的機関は一番冷たく、助けてくれない事を知っておく必要がある。
通報に至るまで、一人ぼっちで悩むのである。
しかし、場合によっては、通報を諦める事もある。
通報にあたっては、本当に首を覚悟するのだ。
理事長や施設長は頼りにならない。
通報先の障害福祉課ですら敵に回ると思うべきだ。
通報し事件が一見落着したあとで、その職場に残れるとは思えない。
余程の覚悟が必要になるのだ。
今回のようにマスコミが取り上げてくれると比較的本腰を入れた調査となるが、
一般的には、居づらくなり退職が待ち受ける。
マスコミすら信用できないということを覚悟しておく必要がある。
通報を覚悟した職員に一言アドバイスしておきたい。
それは、
通報にあたって記録を取ることだ。
日記形式でも良いので、日々の記録をつけて欲しい。
最低でも何月何日に何処でどの職員がどの利用者に対して何を行ったかを記録する。
今回のように画像があれば決定的な証拠となるが、なかなか難しいだろう。
また、通報を行った市町村との記録も詳細に取るべきである、応対者が誰かなど、
市町村の職員を絶対に信用してはならない。
彼らを良い人だと考えるのは、自殺行為である。
○ 大概が中堅職員による虐待になりがち
その虐待を注意できない体質
施設長、理事長が見てみない振りをする。
場合によっては、虐待をしている職員の方を持つ可能性もある。
忘れてはいけない。
すべては、力関係なのだ。
○ スタッフの構成
最後に勤務した年度のスタッフ構成が最弱であった件
(これについては、後日時間があれば書きましょう。)
スタッフ構成が最悪であれば、職員の心は荒れ、疲れ果てる。
まず、最悪の構成にしたことを理事長・施設長が理解できていない。
理事長に対するイエスマンだけが出世する構造がある。
○ 管理者の姿勢
”いつも利用者の面倒を見てくれて有難う”などの声掛けが出来ていない
感謝の気持を持たない
作業部屋など室内に管理カメラを張り巡らせるという職員を信用しない暴挙に出る。
これによって、管理者と職員の信頼関係は失墜する。
結構、レベルの低い理事長や施設長がいるものだ。
○ 全ての職員に言えること
自身が障害を持っていることが多い
だから、利用者に対して思いやりを持てるだろうと思うが、それは違う
自身の弱さが、仕事の質や量に影響する
ひいては、周りに迷惑をかける
周りの職員の負担が増え、長時間のうちに皆が疲弊していく。
はけ口は、弱い利用者たちに向く
ましてや、こういった施設では利用者からの逆虐待は日常茶飯事である。
鼻の骨をおられることもあるし、場合によっては、一生傷を負うことすらある。
大きな声では言えないが、利用者からの暴力等には職員は無力である。
管理者も守ってはくれない。
労災にしてくれたら、まだ、良い方である。
○ 障害者のお世話はストレスの塊
同じ給与を貰う別の仕事と比べるなら、障害者のお世話はしないほうが良い。
自身が受ける心的なストレスは、一般の仕事の倍以上になると考えるべきだ。
そのストレスの積み重ねは、ゆっくりと自身の心を蝕んでいく。
真面目に取り組んでいる人ほど、その状態に陥るので、注意が必要だ。
特に、重度の自閉症の方をお世話することはかなりのストレスがかかる。
私の場合、もう一度こういった仕事をやろうとは思わない。
肉体的にも、精神的にも無理である。
○ どうしても一定数存在する不的確従業員と不的確管理者
福祉に向いている人、向いていない人を何処で判別するかということは
難しい問題である。
しかし、私の経験では福祉施設職員として不向きだなと思う方はどうしても一定数存在する。
その職員が数年働き、後輩も入ってきた頃が問題なのだ。
南紀あけぼの圓での虐待についても同じことが言える。
福祉に向いていない職員の虐待の芽を摘むことができにくい環境が整うのである。
南紀あけぼの園も同様と思うが、事件後、いかに真摯な対応で努力しても、
一度出来上がってしまった職場の雰囲気はそう簡単に良い方向に向かうわけではない。
根深い悪の雰囲気がいつまでも漂っているという事だ。
また、職員たちの悪の環境づくりに拍車をかけるのが、管理者たちの無能な支持命令であり、
考えられない規則づくりである。
管理者にも自身が障害を持っている方もおり、それが組織を悪い方向に向かわせる
ケースがある。その様な管理者の方は、常々自戒しながら生きていくべきである。
それが出来ない場合は一般職員に戻るか、別組織へ転職すべきだろう。
○ 社会における障害者の存在とは
障害は、生まれる前に受けたものもあれば、事故などによるものも存在する。
大変な交通事故で脳の損傷も伴い意識もうつろな状態の方のお世話をしたことがある。
お顔にも大きな傷があり事故の酷さを思い起こさせるような方であった。
この方に授業を行うのであるが、何から始めたらわからないほどの状態で
困りに困ったことがある。
反面、重度の自閉症の方たちへの対応は別の意味で困惑を極める。
作業など落ち着いてできるわけもなく、トイレの世話も重なり職員側の努力にも
限界を感じるのである。
彼らは望んでそのようになったのではなく、運命がそうさせたので仕方のないことだ。
そして、障害者は一定数生まれてくる訳で誰かがお世話の役を引き受けねばならない。
半世紀前には、座敷牢に入れられていたが、今は、障害者にも人権を認めようという時代なのだ。
障害者の側ばかりに視点が行きがちであるが、従事する職員が安心して働ける環境を
作ることも重要なのである。
それには、公的機関だけでなく、福祉施設の管理者たちが従業員の心身の健康を守るという
意識をしっかりと持たねばならないと感じる。
障害者の虐待は、主に宿泊施設で起きると考えて良い。
それは、周囲の目の届かない密室だからである。
参考までに、以下のURLは、私が現役を引退し、退職後に勤めた日中の障害者支援事業所での
経験をまとめたものである。ご笑覧くださいませ。