2000年4月26日に11th AL.『good morning』が発売された。
(Sg.『コール アンド レスポンス』と同日発売)
☆デビュー25周年(2013年)を記念して発売された「EMIイヤーズ SHM-CD再発7タイトル」のひとつとして再プレス限定発売されている
☆宮本は、2017年発売のデラックス版フォトブック内で「(ジャケットの決定稿を)ギリギリに変更してもらった」と書いている。
「人肌のぬくもりというか、中一の始業式の時に知り合った仲間、郷土の夕焼けの光景を共有している仲間とやっている心強さというか…」
「“今度、全部俺ひとりでやっていい?”─そう言いましたよ」
「音楽をやっている人間としては、非常に屈辱的で悲しい思いをしただろうとは思うんです。ただ、同時に中学時代からの友達ですから、僕がやりたいようにやるのを見るのが好きだってところも、あると思うんですよね」
「小学校の時に嫌われた経験が原因になっていると思うんですけど、僕は、いつも自分は理解されないんじゃないか、素直にやって勝負しても誰もわかってくれないんじゃないかって強迫観念めいたものがあったんですよね。だから、自分の中で“いい”って感じてるものが売れるとは思えなくて、売れるために何かしなきゃ、とにかく売れなきゃってがんじがらめになっちゃってたんです」
(「Weeklyぴあ」2000年4月 “世紀末才人列伝其の十八” インタビュー:金子達仁)
「これは適切かどうか分かりませんが…僕はもう猛然と恨んでたんですね。恨んでるんです。何も高度成長が悪いと言うわけではない。それがなかったら今の生活もなかったし、豊かさという恩恵を受けてるわけだし、親の世代も一生懸命にやってきたわけだしさ…。だけどそれはそれとして、恨んでたんです。豊かであるということは素晴らしいけども、その中にあるひずみというものに」
「ただね、あの総理大臣が僕らのリーダーかと言うとそれは思いたくないんだよね。僕ら若い世代、もっと下の世代とすれば、それぐらいのものなんです。もっとそういうのを声を出して言っていいと思うんですよね」
「だから“俺は折角のロックンロールバンドだ”という言葉じゃないけど、『自分のイメージの曲はこういうものなんだ!』って明快な形で叩きつけるアルバムにしたいって思いがあります」
(「日経エンタテインメント」2000年3月)
「僕、“東京”っていう言葉が出てくるときは、調子いんですよ。『東京の空』とかね。いいレコードは、東京が出てきますね。今回のでいったら『武蔵野』ですね。あの曲も詞も、すごく好きなんですよねえ。具合が悪いとたぶん、“恋”とか…。」
「なるべく僕は寿命まで生きるぞっていう。自分で死ぬのはやめようと思いましたね」
(「メンズ・ノンノ」2000年)
相手に正しく理解させたいと、その想いが強いあまり、あらんかぎりの誠意と言葉を尽くして語ろうとなさる。その誠実さが、後ろに控える無口なメンバーの方々にも完璧に伝わっているのでしょうね。かけがえのない友情と音楽をいつまでもお大切に。
(「週刊文春」4/27号 阿川佐和子)