2004年3月31日に15th AL.『扉』が発売された。
「落ち着いてきました。時間がないなとか、色んな事を、37で、あの、色々びびったんですよ。ふと気付いた時に。それがやばいっていうのが、要するに、音楽、全部やらなきゃ」
「ただ、あれ(雑誌の連載)をどんなにやってもですね…。歌の1行の“おい、今夜は酒もってこい”のね、メロディーと自分の声というものには、パワー的にね、到達度が、歌の方があると思った」
「音楽で生きていくっていう事を改めて思ったレコードなんですよ。自分としては、歌詞を集中して書けた。それから『歴史』っていう曲のメロディが非常に優れている。それと『イージー』っていう曲である種ストレートに自分の今の現状を出せている曲がある。また『パワー・イン・ザ・ワールド』の“何度目の太陽だ”っていう俺が思っていることがちゃんと歌えたっていう、まあ、だからその、今の僕はだらしないか、だらしなくないかっていう事が少なくとも歌の中で全部表現出来たっていう事が、少なくとも自信にはなりました」
(ファンクラブ会報PAO Vol.31)
「(バンドだと)わがままにできるっていうのかなあ」
─ 人はねえ、バンドだとそれができないと感じてバンドを辞めたり休止したりするわけですよ。
「ああ、そうですか」
─ そして俺の世界を追求するためにソロ活動に行くわけですよね。
「うーん。でも俺はやっぱりトミのドラムがあると、まあこれはちょっと善し悪しなんですけど(笑)、思い切って威張れるっていう…うーん…それが凄いいいなっていうふうに思ったんだよなあ。で、やっぱ僕が凄く考えたのは何よりもそれが一番なんじゃないかなあって─わかんないですよ、結果は」
「“ガストロンジャー”のあとの展開はちょっと失敗したかなあと思ってんですよ、自分ながら(笑)。笑い話なんだけど、もちろん。だって流れが全然ないもの」
(「ロッキングオンジャパン」2004年春 インタビュー・鹿野淳)
『歴史』について
「それでまあ、鴎外のことが、自分としては一番タイムリーだったんで…だから、ちょっと自分としてはランクが下がってるんですよ。もっと壮大な曲をイメージしてたんで、このメロディができたときに」
「あんまり浮つかないで自分ってなんだろう?っていうのを、ちょっとちゃんと考えるっていうことが、僕らの職業には大事だっていう…まあ当たり前のことで、みんなやってることなんだろうなあ!それをでも、自分で気づいてやった第1弾なんですよ、たぶん」
「何しろ、『明日は1時から練習しよう』って言うと、11時半に来る人たちですからね」
「いや、自信っていうか………このアルバムで『なんとかやってく、音楽でやってくぞ!』っていうふうに思いましたね……3年ぐらいは(笑)」
(「bridge」2004年春号)
なお、このアルバム製作に密着し、ドキュメント『扉の向こう』をプロデュースした是枝裕和はエレカシサイドのスタッフから「このレコーディングを最後に、宮本は表情者として死ぬかもしれません。もしそうだったら死ぬところを撮ってください」と言われたという。
(「Weeklyぴあ」2004年)