芸歴40周年記念興行

立川談春独演会(2024/7/13昼の部)

『天災』→ マクラで都知事選での石丸氏とメディア担当記者との応答場面を再現。

(ガックリ肩を落として)「また、そのことですか、さっき説明したんですけど」(会場爆)。つまり、「良し悪しではなく世代の違いでコミュニケーションが取れなくなってきているのではないか」と現代を訝った。通じ合ううちはいいですよ。「怒りは共感を生まない」「笑いは共感を呼ぶ」と言って本題に入っていった。

 

短気で喧嘩っ早い八五郎は心学の紅羅坊名丸先生に「諦めれば腹を立てることはない」「何事も天がした事、天災だと思って辛抱しなさい」と諭される。八公すっかり感心して、長屋へ戻って先生に言われたことを実行に移すのだが…。マクラの効果であろう、短気な八公と心学者がちゃんと意思が通い合ったことが分かる。『天災』という何度も聴いた噺なのに、とても「新鮮で」「平和な気分に」させられた。

 

 

『小猿七之助』→ 師匠•談志は、『講談のよさが、本当にもっと早くわかっていれば、私は、講釈師になってたかもしれない。山藤章二が贈ってくれた神田伯龍の『小猿七之助』をSPレコードで聴いて、正直、身体に戦慄が走った』と本に書いている(『講釈場にある風景』)。イナセとかオツという江戸の香りが表現出来るかどうか。

最初に談春は、これら『小猿…』に纏わる説明をした。わたしはこの噺は途中までの憶えしかなかったので今回ゆっくり”鳴りもの入り”で聴くことができ満足だった。

 

『品川心中』→ 昔、流行っても今あまり演られていない落語がある。その代表的な一つが『品川心中』という。確かに、志ん生、圓生、金馬、志ん朝、談志等々誰もが演った。なぜ演られなくなったのか。理由は、吉原が廃絶したこと。寄席の客に女性が増えたこと。第一、女に狂ったなんという落語家がいなくなった。時代が変わった。実名をあげて想像できないでしょうと笑わせた。本題に入ると談春は現代語を挿し込まない。淡々と喋るが決して飽きさせない。

いま古典をきっちり演る点で談春が一番上手いのではないだろうか。

談春は書いている。

「表現における自由とはなんなのか。その答えを私はもたないが、話芸、伝統芸能には「頸木」がある。それは芸人、表現者を繋ぎ止めるためにあるのねではなく、いつかそれから放たれるためにあることは知っている」(『談志が死んだ』)……何を言っているのか分かるようで分からない…が、

真正面に「古典」を据えて格闘していることは間違いない。

その姿勢、カッコいいじゃんと思った。

 

 

お付きあいありがとうございました🙇‍♂️