昔: 芝うらの風景 広重画(名所江戸百景の内)

               改印 安政3年(1856) 2月

🖼️浜御殿(いまの浜離宮恩賜庭園)の沖から南西方向、高輪の浜辺あたりを見た図である。

今の築地大橋から高輪あたりまでの海浜を芝浦と呼んだ。水路標識の澪標(みおつくし)、奥に御台場、飛び交うカモメが描かれている。石垣は浜御殿と呼ばれた将軍家の別邸です。

 

【12:10】

昨日(6/13)東京メトロ築地駅をスタートして、広重の写生場所を目指し…赤線に示す通り…ゴール•新橋駅までウオーキングしました。

 

今: 築地大橋から南西を遠望 【13:15】

広重の写生場所と同じ写真としては、築地大橋からの

これ(赤矢印↙︎)になりました。

 

【12:22】 上の写真の前

最初、勝鬨橋から右に浜離宮を視界に入れて…浜離宮はまだ遠くにあります。左に築地大橋、右に東京タワーが見えます。

 

次に

創建が万治2年(1659)という波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)

に入りました。

 

日本一 雄の大獅子「厄除天井大獅子」

龍は「雲」を従え 虎は「風」を従え 龍と虎が暴れることで波風が立ちそれを

一声で威服させるのが獅子だという。平成2年に神社の御鎮座330年を記念して

現代の名工和田青雲氏とその工房の手により再興されたもの。

 

 

築地場外を縦断………

 

外人観光客が90パーセントを占めている感じ

 

 

 

【13:31】

更に浜離宮恩賜庭園

江戸時代前期から徳川家の庭園であったが、綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍の別邸となり、幾度かの改修工事が行われた現在の姿の庭園が完成した。江戸湾に突き出た埋立地で、面積約75000坪、明治維新を経て昭和20年東京都に下賜された。

 

三百年の松

六代将軍が、庭園を大改修したとき、植えられたといわれている

 

将軍お上がり場

将軍が船に乗降する所。最後の将軍徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いで惨敗して江戸に逃亡したとき(慶応4年(1868))ここから上陸した。

 

富士見山からの眺め

 

鷹の御茶屋

   

パンフレットによれば史資料に基づき忠実に復元されたある

 

 

高いビルディングに囲まれていて、東京のオアシスのようでもあります

 

 

 

【14:45】

見事な松

 

 

庭園を出てガレッタ汐留を通過して🚶🚶

 

………………

 

【15:10頃】

新橋駅に着……本日のウオーキングおしまい。

 

 

ヘルスケア•アプリによると

12時〜13時 4037歩 2.6km

13時〜14時 4745歩 3  km

14時〜15時 2740歩 1.7km

    合計 11522歩   7.3km

 

 

お付き合いありがとうございました😊