昔: 蓑輪金杉三河しま

近景に丹頂鶴、下部には沼とその先に三河島田圃が広がっています。

この地は昔、荒川氾濫原即ち湿地帯で毎年11月下旬から2月ころまで渡り鳥の鶴が飛来したと言われています。二羽の丹頂鶴の羽は「空摺り」という技法で凹凸な質感を感じとることができます。

 

👇空摺り

空摺とは: 版木を用いて和紙に凹凸を付け、その立体感を味わう技法である。鳥の羽や草花などのこまやかな質感にこだわって表現したいときに用いる技法で、画面の角度を変えて鑑賞することでその変化を楽しむことができる。(絵と説明は『「広重名所江戸百景」浅野秀剛•監修 』より)

 

鶴は、古来、吉祥の鳥として大いに崇められたのでしょう。が、これが幕府から朝廷への贈答に使われたというから皮肉なものです。人間は優美な姿をそのまま愛でる優しさと殺戮して食べてしまうという残酷さの両面を持っている。コインの裏表みたいに脳ミソに刻み込まれているんですね。両方とも本能の範囲内の行いとするなら、難しく考えることもないとも思えるし…🤔。

 

👇十代将軍•家治公鷹狩之図

鶴御成とは: 先ず飛来して着地した鶴を段々に餌付場へ誘導したんでしょう。夜中はどこかへ飛んで行ってしまって、翌朝(竹矢来をめぐらせた)餌付場へ戻ってくるそうです。幕府は「鳥見」とか「犬番」という役を与えて餌付場を厳重に管理させた。人に慣れさせる一方、柵の中に人や犬が入るのを特に警戒したようです。そして師走の良き日、将軍とお供の者達一行七八十人が行列を組みこの地へやって来る。

将軍は鷹匠頭からタカを受け取り、鳥見がツルを飛び立たたせようとしたその時、タカを放ってツルを捕獲する。

 

師走の頃

とらえられたツルは鷹匠が刀を執って将軍の前でで左腹の脇をひらいて臓腑をだしてタカに与え、あとに塩をつめて縫い、宿つぎの早飛脚で、朝廷へ献上した。街道筋ではこれを「御鶴様のお通り」といった。朝廷ではその一半を受け、残る一半がまたまた東下りの早飛脚で改めて江戸城へ送られ、そして「鶴の吸い物」として将軍の御膳に上がったということです。

 

 

今: 都営アパート14階から南西を遠望

 

大正八年(1919)ころに、石井研堂(慶應元年生まれ)が村の古老から聞いた話によると餌付場は現在の東日暮里1丁目都営住宅の立つ西ないし南だったとのことです。

 

私は、いくら都営でも敷地内や建物に入っていいのかどうかよく分からなかった。が、エレベーターで14階まで上がった。そして遠景に富士、近景に正庭通りを撮れて満足☺️、不審者と思われかねない😱ので、そそくさと下に降りた。(2019年3月のときと同じ思い)

 

👇都営アパートと池田屋敷跡説明板

 

👇正庭通りから昭和通りを見ています…真ん中に細くスカイツリーが見えます

 

鷹狩りとか鶴御成に由来するのか「正庭通り」という名の通りがあった。

ところが「正庭(まさにわ)」とは、単なる地名で鷹狩りとは関係なさそうなんです。

地名由来については後日、図書館でゆっくり調べたいと思っている。

 

👇荒川自然公園…正庭通りから⒈2キロ北西に行ったところ

 

お付き合いありがとうございました 🙇