昔: 王子滝の川

歌川広重「名所江戸百景」改印:安政3年(1856) 4月 

🖼滝野川と、松橋弁天鳥居、弁天の滝、滝浴みの人、四阿(あずまや)で休憩の人、右上部には金剛寺などが描かれている。石神井川もこの辺りで川底が深く、水流が急流になった。水声滝の如きだから、或いは何本も滝が流れ込んだから滝の川と呼ばれた。

 

今: コンクリートで固められた滝野川…写真⑨

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石神川は、小平市を水源とし、板橋区を経て北区に入るが、王子辺りで渓谷状になっていた。渓谷の面影は、昭和33年の狩野川台風水害を機に、改修工事によって消えてしまい、現在大きな蛇行は埋め立てられ、両側のが崖はびっしりとセメントで固められている。

 

👇 地図上の数字は、散歩の経路順と写真番号を示しています。

 

さて、広重の写生位置を特定すべく先ず王子駅をスタート。

川の流れに逆行して川上に向かいます。

 

②音無川親水公園

滝野川も王子駅辺りでは流れが穏やかになり、川の名が音無川と変わっている。吉宗がこの地に故郷紀州の面影を感じ、紀州にある川と同名の「音無川」と呼んだといわれています。水の流れはなく面影だけが残る音無親水公園として整備されています。

 

③音無さくら緑地

 

 

④金剛寺(紅葉寺)

👆〈源頼朝の布陣伝承地〉説明板によれば

治承四年(1180)十月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。…崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁才天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し…

 

吉宗の命により楓が植樹され、いらいこの地域は弁天の滝やもみじの名所として知られていました。金剛寺が別称、紅葉寺と言われるところにこの頃の名残りがみられます、と記されいます。

 

 

⑤松橋弁才天洞窟跡…絵の弁才天の説明がされている

 

 

⑥〈もみじ橋〉の上から川面を覗き込んでみた

 

 

⑦音無もみじ緑地 上流方向

左の水辺あたりに滝や四阿があったのでしょう

 

 

⑧ ⑦と逆に下流方向を見ています

 

 

⑨滝野川橋そばから金剛寺を見ています…絵と同じポイント

自然に向かって、「これでもかこれでもか」と。コンクリートと鉄で固め尽くした。なんだか、人間のすることにわびしさを感じました。悲観し過ぎでしょうか。