1993年発行の「かぶきハンドブック」(新書館)の中で渡辺保氏は書いている。

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 襲名は、天皇制の原理による。

 折口信夫によれば、天皇制を支える「万世一系」とういう言葉は、永遠つまり万世にわたってひとつの系統つまり一系がつづいているという意味ではない。神武天皇以来昭和天皇まで百八十何代かの天皇はたった一人しかいないということだそうである。そんなことはあるわけがないというのは現代の考えであって、古代の考え方によれば天皇がうけつぐ天皇霊はこの世にひとつ。天皇霊によってはじめて人間が天皇になる以上は、神武天皇も昭和天皇も同一人物という論理が成り立つ。

 襲名は、この原理の応用である。

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 襲名制度は歌舞伎だけではなく演芸や舞踊•相撲•茶道•華道など日本では多くの世界にみられる。歌舞伎で九代目(くだいめ)といえば、江戸から明治にかけて活躍し「劇聖」と呼ばれた市川團十郎のこと。初代から九代目で明治ということは、荒事の初代はいつ頃の人か?などとおもう。

 江戸歌舞伎の全盛期に君臨したのが五代目写楽が遺した絵は有名である。七代目は奢侈を咎められ「天保の改革」で江戸を追放(江戸払い)されている。

 

下の左側の絵は寛政6年(1794)の一場面。右側の絵は歌川豊国作「七代目市川團十郎の三浦荒男之助」で文化十年(1813)正月を取材したものといわれています。

 

 

 最近あまり聞かないが、単に「六代目」といえば、それは「六代目•尾上菊五郎」のことで名人芸の代名詞にさえなっている。もう一人、戦後の中村歌右衛門も六代目で福助が病気に罹ってこれは襲名が立ち消えになっている。

 

 時代は下って昭和40年代、超人気の”海老さま“(海老蔵)が、11代目を襲名した時の世間の盛り上がりは大変なものだった。家が芝居好きだったからか、子供の頃?興奮気味の親達に交じってよくテレビで歌舞伎を見ていた。

 

 11代目は七代目松本幸四郎の長男で謹言実直な性格だったらしい。長く尽くしてくれた女性(松本家の女中)も一緒に連れて市川宗家(堀越家)に養子に入ったのだが、結婚して子供が二人いたことが公表された時、既に七年も経っていて世間は大騒ぎになった。

 

 モテモテだったから周囲を憚ってなかなか言い出せなかったのであろう。これを小説にしたのが宮尾富美子の「『きのね-柝の音』朝日新聞社 1990 のち文庫、新潮文庫」。歌舞伎好きの女性なら一読の価値あり。

 

 歌舞伎に限らず家の系譜や芸の伝承或いは時代との関わりを思う時、襲名によって“一つの名前”で済むわけだから便利な制度だと思う。これが、市川○●だったり市川○✖︎だとしたら大変厄介なことになる。

 

 新團十郎に限らず、名跡を継いだ役者はみな先人たちの名を汚さないように芸道に励むことになる。大変な重圧だと思う。先天的に身体に絡む難しい部分もある。だから、先祖と違う芸風になろうが、芸が不味かろうが一向構わない、鷹揚な見物が一番いいと私は思っている。

 

↑2019年1月歌舞伎座ロビーで撮ったもの。
 

例えば、十三代目團十郎を観るとは同時に十二代、十一代をも重ねてみている筈であり、若い市川新之助君やぼたんちゃんがどんな役者になるのか、成長ぶりを見るのを楽しみにするわけである。

 

追記: 歌舞伎座のロビーに三代目柳家小さんの絵が飾ってあったので撮ってしまいました。

漱石をして、“同時代に生きて小さんを聴くこと出来ることは大変な仕合わせである”とまで言わしめた名人でした。