昔:駒形橋吾嬬橋

🖼あてなしぼかし(当てなし•目印なしのぼかし)による雨雲、胡粉による白い雨、ホトトギスにはきめ出し(紙の表側を盛り上げる技法)を使うなど高度の摺り技術が使われている。ホトトギスの組合せは、高尾大夫の「君はいま駒形あたりほととぎす」をなぞっているとのこと。赤い布は堂の筋向かいの小間物屋紅屋百助の宣伝で、 江戸 の人間ならこの 絵を見て、この有名な一句と場所をすぐ頭に浮かべただろうという。画題にある吾嬬橋は左側に小さく描かれている。

 

以上が絵の説明となりますが、ファイルとしては、その1:〈浅草は江戸の発祥の地でであった〉その2: 〈「浅草観音戒殺碑」と「紅屋百助」について〉の二つに切り分け整理し、ブログアップするかことにした。

 

その2: 〈「浅草観音戒殺碑」と「紅屋百助」について〉

 

以下は「ネット遊び」みたいなものです…というか遊びです

 

▼「江戸名所図会(国会図書館デジタルコレクションより)」の中より抜き取った〈絵〉とほぼ同じ範囲の〈古地図〉を並べてみた

青矢印が絵の目線になります…この地図は現代に作ったものなので、厳密には「古地図」と言えないかもしれません。でも、「殺生禁断」など文化•風俗なども反映されていて面白いです。駒形どぜう•前川など老舗のお店も載っている。

 

「材木町」は、広重の絵に材木が描かれいる辺りです。「並木町」という地名は、今はたぶん無く蕎麦屋が並木の名を留めています。名所図会の「いなり」は、「東叡山領清水稲荷」のことと思われます。

 

「浅草諏訪町」という地名も無くなっていますが「諏訪神社」は今も頑張っています。広重の絵の紅屋百助は、駒形堂の斜向かいにあったと言われているので、調べてみましたが、それに限りなく近い店?は「諏訪町」となっていました。

 

▼境内にある戒殺碑に関しての説明と写真です

 

▼駒形橋から北の吾妻橋•浅草を見て…昔の殺生禁断の地

 

▼駒形橋より

 

▼〈江戸買物独案内〉で〈紅屋百助〉を探した結果

 以上