昔: 四ツ木通用水引ふね
33図: 🖼中央を流れるのは曳舟川、奥の湾曲部分が船着場とすれば亀有の手前あたりと推定されます。奥の山は日光連山です。竪絵の限界で、本来真っ直ぐに伸びている川をグニャリと曲げています。水の流れには多様なぼかしが施され藍の濃淡と通りの黄色のコントラストが鮮やかである。
▼廣重の、『絵本江戸土産』の中の〈四ツ木通引舟道〉
▲絵には「前に記せし掘割は、その長きこと二里に余り、末流新宿(にいじゅく)の川に入る。適(たまたま)ここを過るの旅客、船に乗って往還すれど、元来幅の狭きによりて、その舟に縄を掛け陸(くが)にありてこれを引く。因て引船道(いきふねどおり)と唱う。水竿を操り盧(ろ)をおすより、またその客は風雅なり」と書かれています。
当初曳船が行われたのは、篠原村から北方亀有村までの28丁(約2.8キロメートル)で、その後、幕末期に下流にあたる篠原村・小梅間でも運行が行われるようになったようです。江戸市中から下総、水戸へ行く多くの旅人がこの異色の交通機関を利用したといわれています。
その曳舟も人力車との競争に敗れ明治15〜16年に姿を消し→昭和4年の荒川放水路の開削による川筋の分断→高度成長期の生活雑排水やメッキ工場からの排水流れ→排水規制により水はきれいになったものの→現在、曳舟川は支流も含めて全部なくなりました。
葛飾区側では曳舟川親水公園(約3キロ)として若干水辺を残して いるるが、隅田区では曳舟川通り(約3キロ)として暗渠化 したのか道路名にのみ名残りを留めている。
今: 曳舟川親水公園
左側が曳舟川跡、右側が水戸街道 (四ツ木四丁目10辺り)
四ツ木駅近く 「東京都の要請により休業」の貼り紙…3枚
▼お花茶屋駅
駅近くに案内板
子供が遊んでいる
田んぼ
水のない川
曳舟十二番…橋の跡
休憩所…ここでひと休みして…さて、これから何処へ❓
赤線がかっての曳舟川です 全長約7.4キロ
京成押上線に「京成曳舟」、東部亀戸線に「曳舟」
川は消えても駅名を残した❗️