昔: 筋違内八ツ小路

                  絵はwikipanionより保存したものに改印年月を追記して転載s

 🖼筋違御門(すじかいごもん)の内側は、もともとは防火や類焼防止のため設けられた広場(火除御用地)であった。絵の左手の森は昌平坂学問所、右手が神田明神、中央は辻番所、土手の向こうは神田川である。

 

 手前の行列は大名の奥方の御帰還と思われる。筋違橋御門は右隅の掛茶屋後ろ辺りと思われる。御門の南側にあたるこの広場は八ッ小路と呼ばれ賑わった。

 

📙「八ッ小路」とは筋違御橋御門昌平橋駿河台小川町連雀町日本橋通り柳原小柳町、以上八方面へ向かう出口が開いて八ッ小路とかハ辻ヶ原と呼ばれていたからである。

 

但し、絵では辻番所後ろの昌平橋への口と武家屋敷と土手の間の駿河台?への口の二つ しか描かれていない。筋違御門は明治5年に撤去、明治45年に跡地付近に御門の石材を使った立派な万世橋駅が造られたが、これも昭和18年に休止された。

 

「筋違い(すじかい)」とは、この広場で日光道と中山道が交差するからという。日光道(御成街道)は神田橋御門から筋違御門を通って上野方向へ。中山道は、この八ッ小路を通り、辻番所の背後から神田川に架かる昌平橋を渡り本郷へ向かっていた。

 

 今: 旧万世橋駅を見る

  📷万世橋袂から神田川の上流方向を撮った。奥の橋は昌平橋である。川沿いの茶色の建物が「万世橋駅」跡でいま商業施設になっている。ここには「万世橋駅構内の一部」も保存されていて見物することができます。

 

 線路階にあるホームに上り、実際に駅構内を歩く気分で回遊でき、ホームにはガラスに囲まれた展望カフェデッキがあり、 中央線がすぐ両脇を行き交う特別な空間となっている。都心のデイトには最高の隠れオススメスポットだ。

 

  (目線→昔の赤矢印と今の黒矢印 数字は八ツを表す)