そう、私は10代にして母のお世話をする
道を選び、PDCAを通じて自分の利益を追求し
ある程度歳を重ね社会人経験を重ねていくと
それら家庭内の経験が社会と言う荒波を
で利益を追求する上で役に立つなぁ
なんて考える時期があったりして
(30代中盤から後半のガムシャラ期とか)
やはり、私にとってケアラー経験は
どこまで行っても「犠牲」ではなく
「自ら選んだ道の一つ」だったわけだけど
産後はじめて気がついた自分の限界点として
はじめて自覚した自己矛盾として
『(母のケアなんかより)ムスメのケア(子育て)の方が楽しい』
て事 笑
文字で書くとどこか棘があったり
生々しい部分はあるけど
(母vsムスメというイノチを比較してるような捉え方も出来るでしょー大袈裟だけどさ)
てか、現実問題、ムスメのケアしてたら母のケアなんて無理。
それが私の答え。
実際私は産褥期を実家で探し、里帰りを終えようとすると
やはり母はここぞとばかりに沢山の不平や不都合を口にしてきたわけで…
(上の子の赤ちゃんがえりをよく耳にするけど、それに似た現象よね)
カラダのあそこが痛いだの
今度の検査結果が心配だの
あーだこーだ騒いでは、
私の気を引こうと自己主張されてましたわ。
そんな母の言動を知っての保健師さんのあの言葉だった訳です。
しんどかったー笑
まぁそんなわけで、私は母となり
ケアラーとしての限界点を迎えた
とゆー、そんなお話。
そして、長かったケアラー道を自ら引退するけど
様々な経験こそはなかなか貴重だからねぇ。
こんな私だからこそ、
大なり小なり今後の人生で活かしていくんだろうなぁ、なんて自分の事を策士扱いしておりますー

