7才の七五三に向けて伸ばしていた髪を
切るきっかけがないまま
小学校低学年の私の髪は
腰の近くまで伸びていて
その髪を毎朝結わくのは父の役割でした。
母は万年ベリーショートで
仕事も忙しかったし
「こどもの髪の結き方を知らない」と
保育園までの私は
いつもわかめちゃんカットでした。
父は男性にしては
手先が器用だったし
何事にも研究熱心だったこともあって
最初はひとつ結わきだったものが
2つ結きになり
色の違う紐を3つ組み合わせて
三つ編みの練習までしてくれて
おさげにしてくれたこともありました。
でも本当は
父が結わいてくれる髪型は
あまり好きではありませんでした。
2つ結わきのときは
まっすぐ別れてないから
左右のバランスは悪いし
何よりすぐにバラバラほどけてきてしまうし
あちこちがボサボサ。
それでも
小学校の先生をしていた父が
朝の分刻みに忙しい時間に
教え子のお母さんから教えてもらったという
当時は珍しかった
寝ぐせ直しスプレーや
まとめ髪ワックスを
あれこれ買ってきてくれて
よし!みなこ!どうだ!
って嬉しそうに言ってくれる様子が
大人の男性なのに
健気でいじらしく感じて
一度も文句を言ったことはありませんでした。
それでも
クラスの女の子たちの
ぴったりとなでつけられたように
美しくまとめてある髪を見ては
心の底から憧れて
その頃から
自分で髪を結く練習をするようになり
1年経った頃には
お団子や編み込みなど
小学生女の子の
基本的な髪形のほとんどは
出来るようになっていました。
なんせ毎朝早起きして
1時間は鏡台の前で練習して
腕がつりそうなくらいに
何度も合わせ鏡をして
納得いかなければ
すぐに結わき直して
土日も暇があれば練習していました。
ピアノの先生や
駄菓子屋のおばあちゃんなど
聞けそうな大人がいれば
アレンジの方法を教えてもらったり
どこを直したら
もっと良くなるかのアドバイスをもらって
そこで初めてつげ櫛を教えてもらい
近所のスーパーで父に買ってもらいました。
それまでは丸まった鉛筆で髪を分けてました(笑)
あれは確か
小学校3年生の終わり頃だったと思います。
母がお風呂に入る時は
1人で入るか
末っ子の弟と入ることが
ほとんどでしたが
何でかの理由で
私と2人で入る日がありました。
その時に母が
脱衣所で私の長い髪を
お風呂に浸からないように
くるくるっと
当たり前のように丸めて
まとめ髪にしてくれたんです。
母に髪を結わいてもらったのが
記憶の限りその時が最初で
私はすごく嬉しくて
幸せな気持ちになりました。
その日から
お風呂の前になると
母のところにわざわざ
ヘアゴムを持って行って
本当は髪をまとめるのなんて
当時の私には朝飯前だったんですが
おかあさん
くるってして~
ってやってもらいに行きました。
普段親に甘えることのない
私の唯一で精一杯の甘えだったんでしょうね。
母はいつも忙しそうでしたが
その度に手をとめてくれて
はいはい
って少し嬉しそうに
私の髪を丸めてくれて
あなたなら
これぐらい簡単にできるでしょ?
って言われても
丸めるのは難しいんだよ
ってウソついて
毎日まとめてもらってました。
髪の毛に触ってもらう10秒ぐらいは
母とつながっていられるようでした。
そんなある日
また母に髪をまとめてもらっていたときに
不意に私の口から
おかあさん?
私と
太郎くん(兄)と
次郎くん(弟)と
誰が1番好き?
って言葉が出たんです
もうそれはそれは自然に。
普段そんなことを言わない
私自身が自分のセリフにびっくりして
もちろん母もすごく驚いたようで
でも嬉しそうに
そうね〜
たみじちゃんかな?
って言ったんです。
たみじちゃんていうのは
たろう
みなこ
じろう
3人の名前の頭文字を取って「たみじちゃん」
兄弟名は仮名
振り返って母の顔をみたとき
母はにっこり微笑んで幸せそうで
それがすごく嬉しかったと同時に
なんだ…今日も大正解の答えだな…
って心のどこかで思いました。
母はいつも完璧でスキがない
3人子どもがいたら
「あなたが1番好きなんだよ」
って言えるわけないよね
わかってるよ
そう自分を納得させて
母の幸せそうな顔を見て
満足な気持ちも本当だったけど
本当にほしかった答えが
返ってこないことに
心の奥がチクリと痛んで
こんなに悲しくなるなら
もう2度と聞かないって思ったし
その日から髪の毛をまとめてもらう度に
「たみじちゃん」を思い出して
お風呂前にまとめ髪をお願いすることも
やめてしまいました。
本当はね
あなたが好きだよ
みなちゃんが1番だよ
って言ってほしかったんです
言われてもちゃんと
ウソって分かるから
それでも言ってほしかった。
私の無理は
ときどき空回りしたり
極端に走ったりしていましたが
そりゃそうだよ
まだたった9才。
いつも母はガードがかたくて
母の本心に触れられることは
ほとんどなかったし
母に入り込むことは出来ないと
いつも感じていました。
それでも
髪の毛を触ってもらう
たった10秒は
そのガードがゆるんで
母につながっていられました。
最近やけに昔のことを思い出すのは
長女が今9才で
長女を通して
あの頃の自分を見ているのと同時に
5才の次女が
よく長女に嫉妬して泣いて
自分の思いを
爆発させているのを見ていると
子どもが子ども時代に
子どもの役割だけに集中していることの
重要性をひしひしと感じるんです。
本当は私
すごく怒っていたんですよね
まずは母に対して
私を1番にしろ
私に全てを与えろ
私だけを見ろ
私に夢中になれ
同時に自分に対しても
本当にほしいものを我慢して
飲み込んで飲み込んで
「たみじちゃん」って言った母に
「たみじちゃんかぁ♡かわいいね!」
ってウソついて
自分に無理をさせてばかりだったことに。
その無理があふれると
いつもぜんそくの発作を起こして
入院していました。
もし母に自分の願いや思いを
そのまま伝えたら
母はきっと叶えてくれたと思うけど
でもそれは私が
望まなかったんですよね。
だってお母さんに
幸せでいてほしかったし
働くお母さんを応援したかったし
母が決めたことを大切にしたかったから。
だからこれは
盛大な勘違いだったけれども
その為には
私が我慢することが1番って
本気で思い込んでいて
それを実直に遂行してました。
私は昔から
同世代の子の成長から
遅れているところが沢山ある反面
変に大人びているところもある子で
いつも頼まれてもいないのに
両親の心配ばかりしていました。
振り返ると
両親は私に心配してもらうような
2人ではなかったし
特に母は完璧であることに忠実で
実際に完璧で
その完璧が寂しかったのに
今では母の気持ちが
私なりにすごくわかる。
結局母も私も
嫌になるくらいに
似た者同士なんです。
自分の120%で常に生きることが
手を抜かずに完璧を目指すことが
弱さをかくして強くあることが
不器用ながらの
私たちの愛の形なのかもしれない。
それにしても
私が当時の母だったら
同じようなことを答えそう…
子どもが望む答えを
全部用意するなんて
無理ゲーすぎますし
そんな必要はないんですよね。
何をどうしたって
子どもは子どもが作りたい世界を
勝手に形づくっていきます。
だから親子関係に
ノウハウやマニュアルなんて
存在しないのでしょう。
母は私に
全力で愛情を注いでくれていたけど
私はそれを
まっすぐ受け取らない生き方を選んでいて
そこで起こる苦悩や葛藤が
本質では欲しかったんだと思います。
やっぱり人は誰しもが
自分が生きたいように生きてるし
本当の自分ていうけど
今、目の前にあるものこそが
自分の内面にあるものこそが
本当の自分だと思う。
昨日はイメージの中で
9才の私に
あなたが1番大好きだよ
って大人なった今の私が声をかけて
ギュッて抱きしめて寄り添って
こうして小さい頃の私が
一つずつ浄化されていくたびに
自分の溝が埋まっていきます。
今鑑定方法や
メニューの見直しをしていますので
またこちらでお知らせします!
メニュー変更に伴い
ライン登録特典のミニ鑑定は
今月で終わりますので今のうちにどうぞ!
⭐︎自己紹介はこちら♪→森みなこについて
【鑑定は現在満席です】
⭐︎全ての鑑定は、公式ラインより先行でご案内いたします
【森みなこ 公式LINE】
検索ID @218zbdwh
ー登録特典ー
①ご希望の方に、西洋占星術のミニ鑑定をプレゼント!
⭐︎西洋占星術の入り口に、太陽星座以外のメッセージをお届けすることが多いです!
有料級と大好評♪
②全ての鑑定メニューの先行案内をいたします
③ブログの後日談、日常の気づきなどを不定期にお届けします♪
ご登録をお待ちしています!
※①プレゼントは1週間ほどお待ちいただいております