看護学生の頃

 

子どもは大人のミニチュアではありません

 

大人の半分の大きさだから

 

半分の薬で同じように治るかといったら

 

そんな単純な話ではありません

 

と習いました。

 

 

この言葉が本当に大好きで


20年経っても


仕事でお子さんに接する時には

 

いつも心に置いています。

 

 

これって病院以外にも通じる言葉で


年齢が小さいだけで

 

未熟半人前と表現されることがありますが

 

3才なら3才なりに

 

10才なら10才なりに

 

その年齢であることに意味があって

 

未熟でも半人前でもなく

 

全ての人は年齢に関係なく

 

内側にあるものは


100%だと思うんです。

 

 

んー--

うまく表現できなくてもどかしい・・・

 

 

知識をつければ想像が減るように

 

大人はこの地球で生きる

 

知識や知恵を持つけれども

 

きっと何かは

 

子どもより少ないんじゃないかな?

 


例えばそれは

 

創造力とか感受性とかこの世界の捉え方とか。

 

 

だから赤ちゃんは赤ちゃんの状態で

 

どこも欠けることのない100点満点だし

 

小学生は中学生の準備期間ではないし

 

中学生は高校生の準備期間ではないし

 

その瞬間瞬間を過ごすことに

 

大きな意味を持つのだと思います。

 

 

だから私は

 

お子さんと接する時に

 

自分が立場が上で

 

この子に何かを教えているんだ

一方的に何かを与えているんだ

 

と思わないように意識的に気を付けています。

 

 

ただ少し早く地球に来たから

 

物の場所や成り立ちを

 

ほんの少し多く知っているだけ。

 

 

10才には10才なりの

 

完成された世界があって


だから

 

100才の人からも学べるし

 

0才の人からも学べるし

 

この瞬間をその状態で過ごしていることに

 

100点満点の意味があるのだと思います。



 

UMIという心の勉強をしていたときに

 

講師をされていた


かせゆきさんが

 

子どもと接する時に

隣の奥さんに接するようにしたらよい

 

とおっしゃっていて

 

すごく心に残っています。

(私の解釈なので、一字一句同じではありません)

 

 

特に我が子に関しては

 

自分の所有物のように接してしまうけれども

 

隣の奥さんにだったら

 

そんなことはしないし

 

そんな言い方はしないし

 

何かを伝えるときは

 

一呼吸置いてから


分かりやすく言おうと思うし

 

相手の理解度や気持ちも確認するでしょう。

 

 

お願いしたいことや

 

言いにくいことを伝える時も

 

敬意をはらって

 

どんな言葉を使ったら良いのか吟味して

 

自分を落ち着かせてから話すようにするし

 

自分にも相手にも

 

誠実でありたいと思うでしょう。

 

 

本当にこのかせゆきさんの言葉は

 

私の子育ての軸になって心に眠ります。

 

 

思えば小さい頃

 

僧侶をしていた祖父は

 

子どもである私に対しても常に敬語で


物事をよどみなくきっぱりと話すので


小さい私から見ると


厳しく感じたし


距離を置かれているようで苦手でした。

 

 

でもこの年齢になって振り返ると

 

私を一人前扱いしてくれて

 

完成された一人の人間として


接してくれたんだと心底思えます。

 


教えというのは

 

その瞬間瞬間は


分からないことの方が多いのかもしれません。

 

 

それでも


時を経て気が付く言葉は

 

心の内側にしっかりと眠り

 

最善のタイミングで思い出す瞬間を

 

待ち続けているのだと思います。



まだ小さい私に


「みなこさん」


と静かに呼んでくれた


祖父の後ろ姿が今でも忘れられません。



 

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