日本人が知らない終戦の真実 | 終活オヤジの独り言

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今日も、誰にも何の役にも立たない、どうでもいい様な事をつぶやきます。
もし、お気に障った事がありましたら年寄りの言う事なのでお許し頂きたいと思います。

アメリカの原爆開発は、ドイツを対象にして行なわれていた

のです

 

1938年(昭和13年)にドイツで発見されたウランの核分裂は、

原爆に応用できることが分かりました

 

そこでドイツに危機感を持ったアメリカは、ドイツよりも先

に原爆を開発しようと、1942年(昭和17年)マンハッタン計

を発足させ、原爆の設計開発と製造が進められました

 

結果、1945年(昭和20年)7月16日にプルトニウムを原料とす

る最初の原爆が完成したのです

 

そして、1945年(昭和20年)8月6日に広島に史上初の原子爆弾

が投下されました

 

下記がアメリカが日本に、原爆投下を正当化する理由です

 

「とっくに白旗をあげてよかった状況だったのに、日本軍が

 抵抗しつづけたから、アメリカが開発した原爆を投下した

 のだ。戦争終結のためには仕方が無い。そもそも日本が間

 違った戦争をしかけたのが原因だ」

 

日本人の多く、あるいは新聞やテレビに顕著に見られるこう

した歴史観が、現在はまったく事実に基づかないものである、

と指摘されているのです

 

残念なことに、日本人でも原爆投下のプロセスを正確に知る

人は多くありません

 

しかし、アメリカに於ける情報公開によって、日本人が知ら

ない事がになってきたのです

 

それを知る書籍が『原爆 私たちは何も知らなかった』

(有馬哲夫・著)です

 

そこで有馬氏は、特に日本人が知らない重要なポイントが4

つあるとしています

 

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 1)原爆はアメリカの単独開発ではなく、イギリス、カナ

   ダとの共同開発である。

 

 2)原爆の投下はアメリカだけで決められるものではなく、

   イギリス、カナダも同意していた。

 

 3)原爆を大量殺戮兵器として使う必要はなかった。

 

 4)科学者たちは投下前から核拡散を憂慮して手を打とう

   としたが、アメリカやイギリスの政治家たちがそれを

   無視した。

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広島と長崎を経験した日本人にとって、原爆は大量殺戮兵器

そのものです

 

しかし、実のところ原爆を開発し、使用しようとしていたア

メリカには様々な選択肢があったようです

 

そして、有馬氏は以下のように論点を整理しています

 

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『原爆を日本に使用すると決定した』イコール実際に広島や

 長崎に投下されたように、『女性も子供も沢山いる人口が

 密集した都市に無警告で使うことを決定した』のだと捉え

 られがちです。

 

でも、事実はそうではありませんでした。

 

日本に原爆を使用するといっても、大きく分けて三つの選択

肢が存在しました。

 

 (1)原爆を無人島、あるいは日本本土以外の島に落として

   威力をデモンストレーションする。

 

 (2)原爆を軍事目標(軍港とか基地とか)に落として、大

   量破壊する。

 

 (3)原爆を人口が密集した大都市に投下して市民を無差別

   に大量殺戮する。

 

また、使用するにしても、二つの方法がありました。

 

 (A)事前警告してから使用する。

 

 (B)事前警告なしで使用する。

 

この選択肢の中で、アメリカは(3)と(B)の組み合わせを選ん

だのです。

 

この最悪の選択をしたのは、当時の意思決定に関係した暫定

委員会のメンバーやアメリカのバーンズ国務長官、そしてト

ルーマン大統領でした。

 

でも、「事前警告なしの使用には同意しない」と米海軍次官

は文書で政府に伝えているように、軍人は(3)と(B)の組み合

わせをできるだけ回避しようとしたのです。

 

戦争といえども一線を越えていることは明らかなので、たと

え戦争に勝ったとしても、他の国の軍人たちから後ろ指を指

されることになります。

 

こんな不名誉なことをしなくとも米軍は圧倒的に優位に立っ

ていて、日本の敗戦は時間の問題だったのです。

 

ですから、自らの軍事的栄光を不名誉な行為で汚したくはな

い、というのは当然でしょう。

 

また、原爆投下が決定される前に、科学者たちからアメリカ

陸軍長官あてに1通のレポートが提出されていました。

 

「フランク・レポート」と呼ばれるこのレポートの中には、

日本への原爆投下を思いとどまるべきだ、といった進言が書

かれていました。

 

ここで科学者たちは、原爆の情報をアメリカが独占するので

はなく、オープンにして国際管理を進めるべきだ、とも主張

しているのです。

 

しかし、科学者も軍人も理性を働かせて説得に動いたが、結

局は政治家によって原爆は広島、長崎に投下されたのです。

 

当初の原爆開発の目的が、ドイツに対しての抑止力でしたが

原爆が完成する前にドイツが降伏したため、日本への使用が

決まったとも言えるのです。

 

でもアメリカが人類史上初・唯一の核兵器実戦使用を決定し

た理由は、ほかにもあったのです。

 

それは、東ヨーロッパでドイツ軍を破ったソ連軍の強大さを

見せつけられたアメリカは、極東がソ連に占領されてしまう

という危機感を抱いたのです。

 

そこで、原爆投下には日本に対する処罰に加え、ソ連に対す

る「日本まで南下するな。我々はこれを持っているぞ」とい

う警告のメッセージが込められていたと考えられるのです。

 

ですから、アメリカが日本に原爆を投下する本当の目的は、

日本との戦争を終わらせる為ではなく、ソ連に対しての威嚇

が第一義の目的だった。

 

それは、トルーマン大統領によって日本国民を必要以上に犠

牲にしてでも、ソ連に対して原爆の威力を見せつける必要が

あったのでしょう。

 

それで、第二次世界大戦が終わってから当初は米国が有利だ

ったのです。

 

しかし、ソ連が核兵器を保有するようになると、両国はお互

いに牽制し合い膠着状態に陥ったのです。

 

どちらかが攻撃すれば、もう一方が報復し、双方に破滅的な

結果をもたらすという考え方で、二大大国として米ソの冷戦

時代になっていったのです。

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ドイツのヒトラー、ソ連のスターリン、アメリカのトルーマ

ン、北朝鮮の金正恩、そしてロシアのプーチン

 

一国の独裁者の狂気によって、自国民を含め多くの人命が奪

われる最悪の事態を招く現実を、私達は常に念頭に置いて直

視し続けていなくてはいけないのです