子供の頃からそして幾つになっても、カツミちゃんと呼んでい
る同い歳のいとこがいます
私の父は男6人と女1人の7人兄弟の3男で、だから私にはい
とこが沢山います
その中でも、父の一つ上の叔父さんの長男のカツミちゃんとは
子供の頃から大人になっても付き合いが続いていました
カツミちゃんの家はず~っと札幌で、私の父は転勤族で道内を
転々としていましたが、私は小学校の頃から夏休みなどにわざ
わざ汽車に乗って、カツミちゃんの家に泊まりがけで遊びに行
っていたのです
どういう訳かカツミちゃんとは馬が合い、気を使わなくていい
し子供の頃から一度もけんかをした事が有りません
カツミちゃんは、5人兄弟の長男で私が遊びに行くと子供が6
人になってしまうので、今考えるとカツミちゃんのおばさんは
さぞかし大変だったと思うのです
そんなカツミちゃんは商業高校へ、そして私は札幌に出て来て
工業高校へ進みました
高校を卒業して二人とも札幌で就職をしました
それから15年後、カツミちゃんは全国展開しているスーパー
のオーナーになりました
30代でスーパーのオーナーになるなんて、本当にすごいと思
ったものです
そして私はと言うと勤めていた会社に居場所がなくなって、そ
れまでの仕事の延長で自分で仕事をする事にした時期でした
カツミちゃんは、前向きな独立でしたが残念ながら私は食べる
為に独立をしたのでした
それから30年、カツミちゃんはスーパーを子供に譲り悠々自
適の生活を送るのです
でも一方私は、33年間仕事をして来た会社を潰し自己破産を
して無一文になりました
でも、私はカツミちゃんに対してすごいなぁ~とは思っても悔
しいと言う感情はありませんでした
決して負け惜しみではありません
不思議とカツミちゃんには子供頃から対抗意識は無く、有るの
は仲間意識だけでした
私は、自分の人生を後悔したことはありません
人それぞれ、人生と言うのは他人には計り知れない喜びや苦労
や悲しみなどが有るものです
そんなカツミちゃんと飲んだのは、コロナが始まる前大通公園
のビアガーデンが最後になりました
その後、カツミちゃんは脳梗塞で倒れ入院したり退院したり、
リハビリに通ったりしていたのです
そんなカツミちゃんは、人と会うのを嫌がる様になり年賀状も
一方通行になってしまいました
そして突然に知らされた、カツミちゃんの訃報
カツミちゃんの容体が急変して、最後は誤嚥性肺炎で亡くなっ
たとの事でした
ただ一人、今だにちゃんで呼んでいるいとこの訃報
同い歳のいとこの訃報
只々、さみしく、かなしく、せつなく、やるせない