人生を変える決断その15 | 終活オヤジの独り言

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今日も、誰にも何の役にも立たない、どうでもいい様な事をつぶやきます。
もし、お気に障った事がありましたら年寄りの言う事なのでお許し頂きたいと思います。

人生は、決断の連続です

 

毎日、何をするにも決断を伴うのです

 

日常に伴う決断でも、その時の判断が後に自分の人生を左右

する事になる場合も有るのです

 

そして、自分自身の考えで人生の岐路となる決断をする事も

多々あるのです

 

私にも有りました

 

 

 

決断その15

リーマンショックの影響で会社の整理を決断

 

社長交代してから、半年も経たないうちに世界的な経済恐慌

が起きました

 

アメリカで起きた、リーマンショックです

 

それは、日本の大手企業に於いても業種を問わず軒並み大き

な影響を受けたのです

 

その中身は、私が以前経験したバブル崩壊の時とは比べ物に

ならない規模でした

 

ソフトウェア業界は、真っ先に仕事が無くなりました

 

それは、ソフトウェア業界の多くの仕事は先行投資の要素が

大きかったに他ならないのです

 

多くの会社がこぞって経費削減の対象にするのは、まず第一

にすぐに利益を生まない事業に対してなのです

 

ですから、どの会社でもシステム開発の仕事は新規事業につ

いは即中止、そして現在進行中のプロジェクトは縮小か区切

りの良いところで、終了となったのです

 

その上に、大手企業は固定経費の圧縮の手段として人員削減

をした上に、今迄外部委託をしていた仕事などを外に出さず

に社内で対応する様になったのです

 

そんな社会情勢の中、今迄大手システム開発会社から仕事を

請け負っていた私達のような下請けの会社には、まるで仕事

が流れてこなくなってしまったのでした

 

それは、大手システム開発会社にもリーマンショックの影響

を受けた大手企業からの、システム開発の依頼が無くなった

ため当然の事なのです

 

そんな中当社も、リーマンショックから2年間は何とか仕事

を確保しながら会社を続けて来ました

 

でも、ついに限界が訪れたのです

 

札幌本社の社員は仕事が無くなるにつれ次々と辞めて行き、

ついに3人なっていました

 

そして仕事も、営業活動も空しくついに3か月先以降の見通

しがまるで付かなくなってしまったのです

 

残念ながらここで、ギブアップです

 

そこでやむなく、会社を整理する決断をしました

 

ただ、東京分室は長期プロジェクトの中枢で仕事をしていま

したし、今後についても仕事が継続する見通しなので東京に

新会社を設立して全員がその会社に移籍する事にしました

 

東京分室には7名の社員が居て分室の室長M君が代表で新会

社を設立したのです

 

そして、最後まで本社に残っていた3名の社員については、

札幌の同業者に社員としての採用をお願いしたのです

 

取りあえず、当社の倒産によって社員を路頭に迷わす事だけ

は避けられたのです

 

そこで、会社は倒産処理を行いました

 

会社は創業33年でしたが、長男が社長になってから3年目

で終ってしまったのです

 

長男にしてみれば、これからという時に起きた予期せぬ不運

な出来事でした

 

会社の倒産により、金融機関からの借入返済義務は私と長男

にありました

 

しかし、会社の借入金額を返済していく事が見通せない私と

長男は、自己破産を余儀なくされ無一文になったのです

 

企業の大小を問わず、社会情勢や環境の変化に上手く対応し

て、会社を継続・発展させることがいかに難しい事なのかを、

改めて思い知らされたのでした

 

そして、全ての会社が潰れている訳ではないので当社が事業

を継続出来なかったのは、間違いなく経営者の責任なのです