よく知られているように,ガンジーのインド独立運動の方針は「非暴力・不服従」であった。ガンジーを心から尊敬しているおいらのブログの運営方針は「非更新・無反省」である。
このようにガンジーの正当な後継ブログを自負するおいらのブログであるが,せっかくだから非更新哲学の意義をここに開陳しておこう。
1,時間の有限性
時間は無限ではない。我々は,たかだか数十年の有限の時を生きるにすぎない。したがって,我々は有限の時間を人生において最も崇高な使命,たとえばアイドルグループのおっかけなどに費やさなければならない。
ブログなどといった下々の営みにやたら時間を使うわけにはいかないのである。ましてや,ハイデガーを読んだりして時間を無駄にしてはいけない。
2,ゼノンからの示唆
古代の哲学者であるエレアのゼノンは,アキレスは亀に追いつけない,ブログは更新されない,飛ぶ矢は飛ばない,ブログは更新されない,などという数々のパラドクスを提示したことで有名である。ゼノンの言い分によれば,ブログは更新されても更新されないものなのである。
3,ジンテーゼとしてのブログ非更新
ヘーゲル的に言えば,「ブログ更新しよう」(テーゼ),「めんどくさい」(アンチテーゼ)はアウフヘーベンされて「今日は寝よう」(ジンテーゼ)となる。
このようにして,ヘーゲル的にブログは更新されないのである。
4,ニーチェの実践としての非更新
「ブログは死んだ」とはニーチェの有名な言葉である。この意味は,「ブログなんてやってる場合じゃない,おいしいものを食べて,音楽でも聴いて寝ろ!」という意味である。
「人間とは動物と怠け者の間に張られた一本のロープである」とはあまりにも有名なニーチェの言葉である。永劫非更新という言葉もしっくりくるだろう。
このように,おいらのブログは非更新を旨としているのである。
*でもこれからときどき更新するよ(はあと)




