フォース橋~渡辺嘉一~ヒューマン・ブリッジ | 愛唱会ジャーナル

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朝比奈隆の「本当の」実父「渡辺嘉一」は、実父(小島)及び養父(朝比奈)と同じ土木技師である。インタネット検索すれば、詳しい情報が直ぐに得られる。ちなみに、田村伴次氏のサイトhttp://www.jia-tokai.org/sibu/architect/2002/0206/hasi.htmから抄出すれば、次の通りである。
 
渡辺嘉一は、1858(安政528)長野県上伊那郡朝日村平出で出生、1881(明治15)海軍機関総監横須賀造船所長渡辺折三の養子となり、1882(明治16)工部大学校予備校土木科を首席で卒業、工部省に入省、翌年辞してグラスゴー大学に留学。土木工学を専攻し、1886年に卒業して直ちに、当時の世界的な事業であったフォース橋の工事に参画し4年問を過ごした。 帰国後は、参宮鉄道、関西ガス、東京石川造船所、京王電気軌道株式会社などの経営に参画し、土木学会の設立に参画、帝国鉄道協会会長(7)も歴任し、産業界、学会で幅広く活躍した土木の先達であり、1932年に74歳の生涯を閉じた。イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
日本の土木技術史上、青山士(パナマ運河)や八田與一(台湾の烏山頭ダム)ほど有名ではないが、この分野では1枚の‘Human Bridge’写真で知られる人物である。イメージ 1
 
イギリス・エディンバラ近郊のフォース湾に1890年に完成したフォース鉄道橋のキャンティレバー(片持ち梁)の構造原理を一般人にも解り易いように行ったパフォーマンスの写真である。
 
両端の紳士が設計者で、真ん中で支えられているのが渡辺嘉一である。スコットランド銀行の紙幣には、フォース橋と‘Human Bridge’があしらわれているそうである。イメージ 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
学界のみならず、実業界でも幅広く活躍したという渡辺嘉一が、家庭外で設けた子を同学の誼で、或いは取引関係の影響力で、朝比奈家に預けたものだろうか。前回言及した中丸美繪氏の著書に明らかであるかもしれないが、未見である。
 
なお、工部大学校予備校土木科1882(明治16)卒(五期生)の首席が上記の通り渡辺嘉一で、次席は琵琶湖疏水や京都市電で知られる田辺朔郎であった。
               (写真は参考にしたサイトから拝借した。)