D N Aで分かるまで。<44>
「柿本神社と皆既日食」<40>の記事で触れていた「邪馬壹(いつ)国の原点 倭(ヰ)」(泉 隆弐著 昭和54年3月刊)は、「臺」は「壹」の誤りとする「邪馬台国」はなかった」(古田 武彦 昭和46年11月刊)には、その指摘がないが、「倭」を「ワ」としてではなく「ヰ」と読まれるべきであることを論証していて、とても示唆に富んでいる。これへの反論を未だ目にすることはできていない。
「ニッカウィスキー」の商標は本来「ニッカウヰスキー」であり、すでに使われなくなってしまった日本語の「音」である。いまは、もちろん「イ」と発音される。
あの松岡正剛がとても気にしていた「威稜」(いつ)の原型が、ここにはあるのだと思っている。
ただ、日本語の「原語」を探究するのに、「漢字」文化をベースに語られることが大半で、それは西暦前千三百年前後につくられ始めた甲骨文字という象形文字であることを、多くの場合見過ごされていて、マックス・ウエーバーの「音楽社会学」のように、「音符」(耳)から導き出すような発想がないと、「縄文社会」には届かない気がしてならない。
小学生の頃、祖父から教わった「数字」で覚えたドレミファで、「太鼓船」をハーモニカで吹いていた記憶がある。いまでも曲を思い出すことはできる。
その意味では、やはり折口信夫がいてくれたら、という想いがつのってくる。
ではあるけれど、「ヰ」というたった一音節の「ことば」が「縄文語」であることの確信を持ったのは、やはり「地図」であった。特にGoogle Maps のサービスの恩恵は大きかった。
最初は、飯豊山山頂と伊豆半島は石廊崎の突端を結んでみた。山都町には伊豆神社があり、喜多方市にも伊豆神社がある、そんな理由だった。「イイデ」も「イズ」もそして「イロウザキ」も三つの言葉に共通しているのが「イ」である。
飯豊山と石廊崎の二点間には、山がある。尾瀬の帝釈山、あるいは田代山。この名称から推測できるのは、どちらも「方位を示す」山という意味。
そしてようやく「神社」、すなわち「伊佐須美神社」(通称イサスミ様)の名称の意味が分かった。これでほぼ謎は解けたので、目を付けたのが、「佐多岬」(サ・タミサキ)。結べば、ほぼ中間に淡路島は「伊弉諾宮」(イ・ザナギグウ)がくる。
2020.11.09 撮影
もちろん、「出雲」はとても大きな課題だ。ずっと十九社を気にしている。
昭和53年頃、初めて「八角神社」(オヤスミ様)隣りの土蔵造りの「経営者会館」の一角に事務所を設けて間もない頃、「松江」からやってきたという若者が突然乗り込んできてはお金を貸してくれと言う。すぐには「松江」が「出雲国」とはつながらなかったが、特に疑うことなく用立てたことがあった。いつか行きたいところだった。
「出雲」を最初に身近に感じたのはその時だったように思う。しかし、いまも気になっているのは、出雲大社の「十九社」である。二十年越しの課題と言っていい。
神在月に集う<十九カ国>の族長たち、それを迎える「稲佐の浜」。その浜に向かって威容を誇るかつての巨大神殿。
「稲佐」を「イナサ」と読むから分からなくなる。「イサ」と読めば、自ずとあの神殿がなぜ西に向けられているかの意味がわかる。
(伊佐須美神社が火災に遭った後、宮司さんは望んでいた。あの高さ48メートルの巨大神殿を建てたいと。この神社も、そして
柿本稲荷も何故か西向き。)
アビ(安日・安比)は東の太陽だ、そしてエビ(海老・恵比)こそ西の太陽だ。天の太陽、海の太陽。
イ・サが<北・南>なら、ア・エこそ<東・西>になるだけのこと。いるではないかそこにはしっかり恵比寿様が。大国主がそこには、おわす。海洋民族語と思えばいい。
十九社のなかには「邪馬壹国」はないけれど、しかしなぜかそこには参加しなくても良い特別扱いの<別格の国>がある。
伊弉諾神宮境内
出雲は「イズ・モ」であるが、何度も「日御碕」と「飯豊山」とを結んではみたが、地理上の発見には未だ至ってはいないが、DNAはしっかりとつながっているから、沖縄で発見できたように「方言」でも見つけたい。
会津では「八重」を「ヤイ」と読みますが、出雲はどうでしょうか?
ただし、人と人との結びつきは、「山野河海の列島史」(森浩一 2004年2月刊)で、「ヌナカワ比売は、古事記に八千矛神(大国主)との遠隔地間結婚の主人公として短編小説風に語られているが、出雲国と高志国、視点をかえると出雲人と高志人との交流を背景にして生まれた神話だとぼくは考えている」と記している。嬉しい見解であるけれど、おそらく「会津」は想定外のことだろう。
彼は学会では誰よりも早く「日本海文化圏」の重要性を主張していたから、彼にとって「越国」は考古学上とても大きなテーマの一つではあったろうと思われる。
越国の「王都」の地は「会津」と言ったのは高橋館長(福島県博)だったけれど、二人をつないでくれる人はいなかったようだ。
飯豊山を真北に望む「宮古」(山都町”蓬莱”)には、ほぼ忘れかけてはいるが、出雲神社がある。巫女が祈りを捧げる「高臺」もある。
「日御碕」と飯豊山とを結んでこそ、八岐大蛇の謎も「十九社」も解けるに違いない。 時を巻き戻してみたい、それにはビールで喉を潤してから。
そう云えば、エビスビールも「ヱ」ビス・ビール」だったっけ。
わかりますか?この希少価値。
今や日本にこれ一本!





