D N Aで分かるまで。<27>
もう17年も前のことだ、大空と大地に大三角形を見つけて、これは大発見と広言し出してから、あっという間に時は過ぎてしまっている。
昨年初めには、H Pを作り「世界複合遺産」の登録活動の一環で、市役所(文化課)へ出向き理解と協力をお願いしたのだが、天文に関わる話だとして、市はかつての国立天文副台長の渡部潤一氏(会津出身)に連絡を取り、意見を求めたようだった。
郡山市にあるプラネタリウムの初代名誉館長さんは松本零士だったけれど、いまはその渡辺さんだ。その先生の意見というか感想は、「面白い」の一言だったそうだ(文化課課長)。
そのまま一年が過ぎ、この2月に、幣書(デルタ・ストリングス)に関する書評を頂いていることを知った。りまりまさんと紫姫さんのお二人だった。17年の時間が戻ってきた、そんな印象を持った。
4月には、会津嶺という地元のタウン誌に世界複合遺産登録に繋げようと書き綴ってきた記事が縁で、長野県伊那市にまで出向くことになり、とある誤解の下に出版してしまった小冊子が、そちらで大変話題となり、あちらこちらの新聞に掲載されて、ついには全国版の誌面を飾ってしまったりした。来年には、なんとか長野版民謡「小原庄助」を出さなくてはならないところまで来てしまっている。
そんな折、日本旅行と福島県がジョイントで実施している観光ビジネスに付き合わされそうになった。「公」も「私」もない、あるのは「予算」だけ、それで観光が成り立つと信じているのを見ると足がすくむ。
そんな時だった、あの「卑弥呼の鏡」が見つかったのだ。もうとっくに失われてしまっていると思っていた。これまた時間が戻った。
この「鏡」の存在を恒久的なものにしなくてはならない、という思いに駆られ始めていた。
どうすればと悩んでいた時だった、天文学者よりも、ここは「星の民」に尋ねてみるべきだと閃いた。まさに、正鵠を得ることができた。
「日世」という名をなんと読むのかを本人は聞かれただけ、記事のほとんどは、なんと、講演会場におられた りまりまさん からの取材によるものだったと、様子を見ていた伊那分室長から聞かされた。
記事は、講演会の開催趣旨を良く捉えてくれている。「ありがたい」の一語に尽きる。
11回裏、鬨(とき)の声をもたらしてくれたのは、ショーヘイでもヨシノブでもない、「ワーチャヌ」のなせるところと言ったら、わかっていただけるだろうか。
(そう、「倭」人の「わ」こそ、<ワーチャヌ>由来と40年前も、いまも信じているのです)
