D N Aで分かるまで。<24>
今度こそ怒られることは確実だ、などと思ってはいるのですが、ついに突拍子もないことを思いついてしまいました。とても言い難いのですが、そろそろ10月も20日になってしまったので、想いもかけず浮かんでしまった着想を述べておこうと思った次第です。
この発想の起点は、紫姫君が例示してくれた「珍敷塚(めずらしづか)古墳」の壁画の船形絵画に描かれていた三つの「靭」にあると思ってい頂けると嬉しいです。
会津大塚山古墳の出土遺物の中には「徒靭(かちゆき )」というものがあります。この古墳には棺が二つあって、南棺と北棺とがあります。そしてそのどちらにも「靭」が納められているのですが、南棺のそれが保存状態が良い状態で出土していましたので、研究者に取り上げられるのは、ほとんどが南棺の徒靭の方で、北棺のそれについての言及は殆どないのが現状です。
そのため、たったの今まで、南棺の主葬者は男性であり、北棺は女性と思い込んでしまっていました。現在までの調査においては、南は男性であることはほぼ確実のようですが、北は未だに不明のままなのです。
ただ、このことに関心を寄せたのは、日本書紀に「靭」は王権象徴として、その所有の有無を神武が長髄彦に問いただすことが描かれていたからで、その遺品がそこにあるのに、こんな重要なことに誰も言及していないことが不思議でならなかったのです。
こんな疑問を、十七年間も抱えていたことになります。
しかし、この度のそれぞれの古墳から出土した「靭」を見ると、権力の象徴であることは動かないものの、そこには明確に個性があって、その部族の特性が反映しており、画一的ではなかったことが、とても印象に残っています。
さて、「突拍子もないこと」についてです。科学には仮説がつきものですが、それなりの根拠は示されていることが普通です。よって、この突拍子もないことにも、根拠らしきことを挙げることは可能です。
これは、古事記が突拍子もないかたちで、「会津」という地名は大毘古命と建沼河別命とが出会ったから「相津」、と描いていることに関係していているのですが、「伊佐須美神社誌」では、出会って喜び合った場所を御神楽岳(みかぐらだけ)としています。その御神楽岳が、この仮説の根拠です。
つまり、会津大塚山の古墳に眠る主葬者こそ大毘古命と建沼河別命なのではないかという仮説です。この御神楽岳が、会津大塚山古墳に結ばれています。
そんなことを、来たる11月2日、福島県立博物館でお話しようと思います。
このブログを見ていただいている方にはお席をご用意いたします。(ご招待です)
世界が驚く日本の天文考古遺産 世界初・日本初世界複合遺産登録
講演会のご案内
いまから40年ほど前、山都町 (喜多方市)金山遺跡で、極めて特徴的な縄文時代の遺物が出土しました。
世界に類例のない出土遺物です。日本の縄文時代から受け継がれて来た、古代の天文観測技術を示す「文化
遺産」です。
この出土遺物は、調査報告書では「土版」と書かれています。しかし、これが何なのか、それを特定する
ことがようやく可能になりました。1500年の眠りから覚め、皆さんに問いかけます。魏の国から送られた銅
鏡以前にあの卑弥呼が持っていたに違いない「鏡」が、姿を現してくれました。
天文学的視点を加え、より科学的に捉えてみたいと、第一線の天文学者をお招きして、この「鏡」の重大な
意義を多くの人に知っていただくために、講演会を催すことに致しました。
貴方のこの「講演会」へのご参加は、日本が世界に向けて、「世界複合遺産」の存在を知らしめる大きな
力になるものと信じます。
日本にはまだ「世界複合遺産」とされる世界遺産がありませんが、この度の講演会では、これまで、誰も
指摘できなかった日本における初めての国のかたちを示した古代人の自然観を、知っていただく初めての機
会になることは間違いありません。大変意欲的な試みではありますが、趣旨をお汲み取りいただき、この歴
史的幕開けを見届けていただきますよう、ご案内申し上げます。
記
主 催 東洋文化財研究所
後 援 福島県立博物館 (教委)会津若松市 伊那市 喜多方市
講演期日 令和7年11月2日 午後1時 開場 午後0時30分
場 所 福島県立博物館 講堂
演 目 「天文+考古遺物の大発見」
講 師 馬 塲 一 晴 (福島大学 教授 天文学)
引 率 松 本 日 世 (東洋文化財研究所 所長 )
連 絡 先 TEL 0242(93)5331 FAX 0242(93)5332
H P: https://nausicca.or.jp e-mail:deltamtbs@gmail.com
