D N Aで分かるまで。<22>
とりあえず、と思い早速購入した「雪野山古墳Ⅱ」が届いたので、いちばん気にしていたところを探してみました。
やはり、「独葬墳」(造語)でした。
数日して、お願いしていた福島県立図書館からの「雪野山古墳」と「未盗掘石室の発見」が届いたので、こちらも参考にと写真を追いかけていたら、「琴柱(ことじ)形石製品」に、またもや目が釘付けになったのです。
琴柱形石製品
そうなのです、まさに「松坂市文化財センター」の「船形埴輪」の4本の柱のうちの2本の「柱」に相似なのです。
それで、この「船形埴輪」は「三重県宝塚一号墳」に葬られている墳墓の主の来歴を示しているものだということが理解できたのですが、驚くことに、雪野山古墳から出土した「琴柱形石製品」が、「埴輪の柱」のオリジナルではと思えてきたのです。
そして、この石製品には、中央にわずかな切れ込みが入っていて、ここの部分には、刀剣などの刃先が当てられるのではと思えてくるのです。神事の際には、鞘に入れずに、太刀を逆さにして、立てて置かれていたのでは、と思えてきます。ペアである場合は「太刀置き」として。
しかし「船形埴輪と古代の喪葬・宝塚1号墳(穂積裕昌/著)によると、オリジナルは、先に挙げた「鴨都波1号墳 調査概要」にあった「槍鞘」(鑓鞘(やりさや))で、それをモデルとしたものであるとしていました。???
3年前に、木製の岩見形埴輪が、峯ヶ塚古墳(羽曳野市)で見つかりましたが、2m以上もあるもので、一見、これは鑓(槍)より剣、しかも富雄丸山古墳で出土した「蛇行剣」などの長大鉄剣を立てかけて置くにふさわしいもの、と思えてきます。
岩見形埴輪
そしてよく見ると、この長大な剣の鞘こそ、長さは異なるものの「鴨都波1号墳の「槍とその鞘」と形状や色ともによく似ているのです。
だからと言って、「太刀掛け」埴輪以外の両サイドにあるポールは、もっと別の意味を持たされているように思えてなりません。
まだまだ、ペルセポリスから離れられない理由です。
<カモ、鴨、賀茂>に導かれて、「鴨都波」そして「雪野山」にまできてしまっているのですが、なんとこの山は「壬申の乱・大海人王子」の雪野山でもあって、柿本人麻呂が初めて仕えることとなった「天武天皇」と万葉の相聞歌人「額田王」の「歌垣山」でした。

