D N Aで分かるまで。<16>

 

                                                  

     なぜ容保は自分の歌集に「伊奈婆廼万都(いなばのまつ)」という題を付けたのか、少しは自分の置かれている境遇を歌にも表してくれそう、という期待が生じていた時に、紫姫女史の「古今伝受座敷模様」を読ませて頂いた。

「そう、それが分からないのだ」という、「人麻呂の本質」への問いかけに対する大きな糸口を示してくれていた。孝明天皇の御製の「相生の松」を懸けた「題」ではなかったのでは、という思いを強くした。

 「そう、人麻呂が歌い出す、その瞬間の、あのシチュエーションが『本質』なの」と、女史が言ってくれているような、そんな「歌」が成り立つ「間(ま・時空間)」こそ大事、とも教わったようにも思う。ほとんど「大嘗祭」における「神事の間」を表しているように思えた。

 

    それと「人麻呂の和歌を梶の葉に記し、星の座に」なんて、なおのこと妄想は止まることもできず、「梶の葉」は「諏訪大社」で「星」は「保科」で、「南北伊佐須美」と14.8光年離れた七夕の星「ベガ(こと姫)とアルタイル(彦星)」となると、これはもう「切紙神示」以外示すこのできない「なにもの」かなのでしょう。

                                                

                                         会津若松市立第二中学校

 

 以前上梓した著書の中で、伊佐須美神社に触れていましたが、この神社の御神体は、会津坂下町「立川寺」の二体の「象」が抱き合っている姿の「秘仏」を指しているではと思っていて、本来は「神像」であり、それこそ「星祭」の象徴として、社殿に置かれていたと思っています。

 

 もう一つ付け加えたいのですが、「西福寺」の屋根の棟飾りには金色の三つ葉葵の紋章が飾られています。新編会津風土記には出てこない寺院なのに、なぜ「葵」がと、今でも疑問です。明治以降に再建された寺院なのに、です。

 この紋章は、松平のものと思っていますが、再建後にわざわざこの紋章を飾らねばならなかったのか、それこそ「メッセージ」ではなかったのか。そして、このメッセージを補填するかのようにそれは残されています。

                                            

                                         福島県立会津高等学校

 

     寺は「慈母観音」としていますが、この寺の創建の意味からは、もっと特別な意味を持った仏像で、「胎蔵大日如来」そのものを現したような、まるで釈迦を抱いた大日如来で、「獅子」に乗っています(一般的には文殊菩薩?)。3年前には県立博物館の学芸員にも確認を願いましたが、答えはまだです。日光東照宮にふさわしいほどの出来栄えなので、あまり多くの人には教えたくない大変価値のある仏像で、厨子に入っています(くれぐれも内緒でお願いします。) 

 

                                                            

 

                                                    そして

 

                    

                              日新館 校章