D N Aで分かるまで。<45>
もう一年になる。2008年に上梓していた書籍に、Amebaブログ・ライターのお二人からコメントを頂いていた。
そのお陰で、このブログに思いを書き綴ることができるようになった。さらには、ある決心というか覚悟もできた。お二人には、心から感謝を申し上げておきたい。
さて、「ヰ」の続きだ。
これを、「やまや」で見つけて思わず買ってしまった。「佐多」ならぬ「伊佐小町」とある。
鹿児島県伊佐市の芋焼酎
これをみつけて、一昨年、「会津嶺」というタウン誌に投稿し始めてまだ間もない頃に、書いた原稿のあることを思い出した。結局は、「保科正之」を掲載したけれども。
タイトルを「キツネとイナリ」とした一文だ。
この時からすでにもう始まっていた気がする。この「不思議さ」が運んできた「何か」なのだが、上げておきたい。
” 気になる「断定」がある。
「越後居多神社が、気多神社なことは疑いありません。事実居多はケタともキタとも読まれています。ですから気多の変形です。しかし古来、コタとよむのが正式です。」という、高橋富雄著の「古代語の東北学」の一節の「コタが正式」という「断定」なのだ。
ハイマートクンデ(郷土史・誌)学の大家ともいうべき福島県立博物館の初代館長であった人物だ。「全東北」が彼の「郷土」といっていい。彼の著書に初めて接したのは、昭和50年に出版された「徳一と恵日寺」だった。少しばかり独文(ドイツ語)くささが漂う文調が印象的だったし、それが、独文学ではなく、こともあろうに古代日本の仏教史に係る「大事件」をテーマにしたものだったから驚いた。ただ読後以降、何故か神社仏閣との縁が深くなり始めたような気がしている。
その彼の「居多」を「コタ」とよむことから決別したのは、おそらくは、今から、十八、九年前のことだった。理由は、今では居合(いあわせ)町になっている会津若松市一箕町の一角に住まいしたことがあり、「居」を「こ」とよむことに、少しばかり抵抗を覚えたからで、後に数年かかってその判別を試みた結果、明らかにこれは「イタ」とよむべきものとの確信に至ったからだ。
新潟県上越市には、居多神社や阿比多神社がある。それら神社の由緒を調べると、古文書には、居多を「ヰタ」や「ゐた」という旧仮名遣いで、明らかに「いた」よむことができていたことが分かる。
また、鹿児島県いちき串木野市にはそれこそ「伊多神社」があって、その由緒には「奥州胆沢郡から入枝志摩之烝の先祖が御神体を運んで、勧請したのがはじまり」(鹿児島県神社庁)とあり、しっかりと「イタジンジャ」と読ませてもいるのだが、驚くなかれ、この御祭神は「饒速日命(ニギハヤビノミコト)」とある。※ 奥州胆沢郡は現岩手県胆沢郡(イサワグン)
会津とは切っても切れないほどに縁の深い「みこと」なのだが、江戸時代初期に書かれた「会津旧事雑考」(向井吉重)の巻頭を飾る神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)との国権争奪戦記(生駒山戦記)の一方の国権主こそ、この「みこと」であり、会津へと戻ってきて、今は(江戸期)高田(現会津美里町)の神籠嶽(こうろがたけ)にある立派な古墳に眠っているとされている。
この戦記に記されている「レガリア」(王権を象徴するもの・神宝)は、今でも博物館で見ることができるのだが、その説明はなぜか今もってなされていない。
「多」は「田」に通じていて、白川静の漢和辞典によれば、「田」は、元々は「東西南北」を意味していたそうだから、「阿・あ」も「居・い」も、方位語に用いられた言葉で「多」はその接尾語と言えるだろう。よって、「阿多」は「東の方角」であり、「居多」は、「北の方角」ということになる。阿比多は、安日多でもあって、岩手県八幡平の安比高原を想起させるが、太陽(あび)が登るのは東の空だ。
「い」は、古代の我が国においては、「いつ」(稜威・厳)でもあり、神聖視され、みだりに言の葉にのせる文言でなかったから、「稲」の字が充られたに過ぎない。
ようやく、白狐の足跡の一歩目が見えたところだが、紙面が尽きたようだから、続きは次回ということになる。 ”
参考までに、WEBで検索していたものを上げておきたい。
“ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
居多神社(こたじんじゃ)は、新潟県上越市五智にある神社。式内社、越後国一宮で、旧社格は県社。
社名[編集]
社名「居多」は、『延喜式』神名帳を始め諸文献で見られる古くからの表記である。訓について『神祇志料』では「ケタ」、 九条家本・武田家本・吉田家本では「ヰタ」、『神名帳考証』では「コタ」と見えるが、現在では「こた」と読んでいる。
日本海沿岸に分布する気多神社の一社として古代には「けた」と呼ばれたとされ、「こた」「ゐた」と呼ばれるのは後世になってからと考えられている。
なお「居」を「け」と読ませる古例では、古くは5世紀末の稲荷山古墳出土鉄剣の「獲居(わけ)」の銘がある。“ とある。(ゴッシックと下線は私)
ちなみに、獲居を現代中国語(ピンイン)で読むと「Huó jü」となるが、慣れない耳には「ワ ヰ」とも聞こえてきてしまう。
イメージでは、「 倭 居 」なのだ。
