また間隔が空いてしまいました。・_・;
こんにちはKuronozoです。
今週は荒天になったり、暖かくなったりしている今日この頃ですが、またまた編集中に誤ってインターネットを閉じてしまって、これまで書いていたことが、水の泡になってしまいました。
まぁ、いいや。記憶辿ってまで一字一句覚えているわけじゃないし、また書き直します。
予定では、12/2更新もその内容を途中まで書いて以降、そのまま「下書き」状態になっていました。それをタイトル変えて、ケータイから作っていて保存したものが、今回誤消去してしまったのです。
12/2(木)
いつも7時半前後には、ここ(誉田駅2番線ホーム)で、リポビタン系(Dまたはfine)を飲んで栄養補給。これ一本で結構元気になります。
この日は、飲み終わった後にちょっとした異変に気づき、写真を撮りました。通常は
このような状態になっていますが、何となく、半分が折れていることに疑問を抱いてしまいました。
日にちは一日遡りますが、WBGのマックがつぶれてしまいました。
張り紙には、「20年間のご愛顧ありがとうございました。」とあり、勤務先がここへ移ってもあまり行きませんでしたけど、いいこと聞いてから一度も行かずにつぶれてしまって、なんだか残念です。
おととい12/3(金)
未明から猛烈な風と滝のような豪雨。9時前には明るくなって・・・
昼頃には、ご覧の通りスッキリと青空が広がって、日差しの温もりも感じて、風は相変わらず強かったけれど、とても気持ちが良かった
ただ、この強風でJRに影響があり、京葉線が運転見合わせ、総武や房総各線も遅れが生じました。
もう仕方がないので、京成幕張駅まで歩いて、とりあえず千葉まで出ました。
きのう 12/4(土)
JR東日本のダイヤ改正で、東北新幹線の東京~新青森間が開通し、全線で開業。これまで4時間かかった時間も3時間20分で行けるようになりました。
また、千葉県内でも内房線・外房線に直通する総武快速線が全て本千葉駅に停車、これで内房線は千葉~袖ヶ浦間、外房線が千葉~大網間で 総武快速も各駅に停車することになりました。
「本千葉駅が便利東京・横浜まで一直線。」と銘打っているものの、確かに本千葉を利用する人は便利になったかもしれない。でも、それ以南の人はどう思うか。「せっかくの快速も千葉まで各駅じゃ、意味ないじゃん」と思うでしょう。僕もそう思います。そして、千葉駅の時刻表を見て、本当に呆れました。
「あんたら、バカか」と言いたくなります。
何故か。それは外房線と内房線の時刻表にありました。その一部ですが、こんな表記があります。
外房線
「XX XX ☆ XX (枠外に)XX」
内房線
「XX XX XX☆ XX」
XXには数字が入り、赤字は快速なのですが、特に外房線の欄、すごい無駄なことしてます。
ダイヤ改正前は、普通列車の時刻が記載されていたので、わかりやすいようにしたと思うのですが、これじゃあ、正直言って、意味不明、わかんないです。特に☆と枠外の時刻。これは内房快速の時刻が記載されています。
内房線のほうを見ると、なるほどその快速の時刻と☆が表記されています。☆は蘇我で上総一ノ宮行に接続できるとあるんですが、それがどちらにも表記されてて、アホだと思いませんか。こんな表記にするんだったら、外房線の☆と枠外の時刻は絶対不要です。
その上総一ノ宮行も京葉線から来る快速なんですが、蘇我からは各駅停車になるんです。
こういうのを見ると、「田舎者の利用者はどうでもいい」と考えているようにしか思えません。と同時に上司じゃないけど、
「ざっけんじゃねぇーよ」
と吐き捨てたくなります。今度東京方面へ行く時は、もう直通の総武快速は使いません。東京~千葉間であれば別ですけど、それ以外だったら、もう嫌です。
ふぅ・・・
嫌な話はここまでとして、千葉駅も2015年にリニューアルにあたって、駅ビルのペリエ1も来年1月末に完全閉店します。最近は若者層中心のお店が多いけれど、そういうのがなくて、老若男女が気軽に入れる駅ビルに生まれ変わってほしいと思います。
そのほか、昨日までの一週間は去年放送されたNHKの“坂の上の雲 第1部”が再放送されて、ずっと見ていました。DVDにも録ってあって、最初はそっちを見ていました。松山でも「ありがとう」は“だんだん”だったと、今更ながら知りました。その“坂の上の雲”の第2部が今夜、NHK総合で19時半~いよいよ始まります。第2部1回目、通算6回目は「日英同盟」。
1902年に結ばれた日英同盟ですが、こういう歴史年表、皆さんはどう覚えましたか突然ですが・・・。
僕はこう覚えました。
「日暮れに(1902)結ぼう日英同盟」
因みにその前となる1894年に開戦され、日本が勝利した日清戦争では、
「一躍進(1894)出、日清戦争」
とかね
どうやって覚えたかというと、僕も“学生時代”というのはありますから、それなりに通信講座も受けていました。当時は“進研ゼミ”という講座が流行っていて、その中に入っていた歴史年表が、ちょうど覚えやすいラップ調のものだったので、スッと頭に入っていきました。
そのほか、いろいろありますけれど、また気が向いたときにご紹介したいと思います。
それでは、また
Kuronozoでした。